「闘う独創研究者」西澤潤一博士が逃した大魚 「ミスター半導体」の功績を振り返る
西澤博士の最初の業績は、1950年のPINダイオードの開発である。これは接合型PNダイオードの真中に絶縁体層のI層を挟んだもの。高性能な整流特性を実現した。また同じ1950年には高速・低損失で大電流動作が可能な静電誘導トランジスタ(SIT)を発明した。1973年には高周波特性を改善した静電誘導サイリスタ(SITh)の開発も手掛けている。名前は似ているものの、これはずっと手が込んでいる。
西澤博士は、何もない状況で半導体研究に一途に取り組んだ。何より苦しんだのは研究資金の調達であったという。自分で工夫するしかなかったことから、独創と闘いの哲学が生まれたのだろう。
半導体レーザー「幻の生みの親」
1957年4月、西澤博士は、恩師の渡辺寧博士と連名で、半導体メーサーの日本国特許出願をし、特許公報に特許出願公告、昭35-13787として掲載された。2頁の文書で、出願人は渡辺寧博士になっている(表記はメーザーでなくメーサーとなっている)。
この特許には、面白い逸話がある。
レーザーは、メーザーから発達した。メーザーは、(Microwave Amplification by Stimulated Emission of Radiation:誘導放出によるマイクロ波増幅)の略称である。1958年7月、ベル電話研究所のアーサー・シャウロウとチャールズ・タウンズは、レーザーの特許を出願した。出願特許の正式な題名は「メーザーとメーザー通信システム」である。西澤博士の日本国特許出願よりも1年以上後のことだ。
ところが、メーザーの特許をめぐってとんでもない事件が起きた。
1957年11月、チャールズ・タウンズと研究上の交流があったコロンビア大学の大学院生であるゴードン・グールドは、自分の研究ノートに装置の図面と簡単な式とレーザー(Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation:輻射の誘導放出による光増幅)という言葉を書きつけていた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら