シリコンバレー起業前に味わった5つの挫折 思い立って30年、海外進出を決意させた経験

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すると2010年4月ごろ、ニューヨーク本社でマーケティングポジションが空いたという朗報が入ったのです。このポジションに候補として応募。ですが異動はかないませんでした。これが第4の挫折です。

私は目標を失いつつありました。次はニューヨーク本社に行くしか自分の昇格はなかった状況下で、それすら難しい。その後、数年前から声を掛けていただいたオークファン社に執行役員として上場と世界を目指していたのですが、2011年3月11日の東日本大震災を機に、社長と意見が食い違い「辞めて起業してやる」と勢いよく宣言しました。しかし4日後には給料が払われなくなることが怖くなり土下座をして撤回。起業すると宣言するも、お金が怖くて断念した第5の失敗です。

夢を実現させるために起業を選んだ

考えてみれば海外駐在や海外進出など、海外へ行けそうな可能性のある企業に乗っかってきたものの、結局自分ではコントロールできないことで断念。それならばと行き着いたのが「自分で会社をやるしかない」という発想です。

しかし正直なところ、起業は怖い。特にそれなりの外資系企業でそれなりの地位・年収があると、いきなりそれがゼロになることは怖いものです。そのため起業を決意してから半年くらいは「どうしたら起業できるのか?」を考え抜きました。

結果的にはロイター通信で共同ビジネスに取り組ませていただいたビジネス誌『プレジデント』を発行するプレジデント社が、出資・支援してくださることになりました。起業当初から資本と収益のある状態でスタートできました。

突き詰めると良い人との出会いがなければ会社は立ち上がることもなく、ビジネスはビジネスモデルでもなく、戦略でもなく、出会う人であることを実感した瞬間でもありました。

こうして私は株式会社プリンシプルを立ち上げ代表に就任。しかし、すぐに海外でビジネスを展開していったのかといえば、そうではありません。起業後もアメリカに移住するまでには、さまざまな困難に直面しました。次回はそんな起業後のストーリーを、そこで得た学びや気付きなどとともにお伝えします。

楠山 健一郎 プリンシプル代表取締役社長

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くすやま けんいちろう / Kenichiro Kusuyama

1973年埼玉県生まれ。1996年国際基督教大学卒業。同年シャープに入社。2000年サイバーエージェント入社。2001年トムソン・ロイターグループ入社。2007年トムソン・ロイターメディア事業部門の日本責任者に就任。2010年オークファンに入社し執行役員に就任。2011年プリンシプル設立。

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