誰の人生においても幼少期には将来を決める決定的な出来事が起こりえます。クラプトンの場合、少年時代で最も重要な出来事は、ロック・ミュージックとの出会いでした。ある日、BBCテレビでジェリー・リー・ルイスが演奏する「火の玉ロック」を見ます。衝撃。感動。それまで味わったことのない興奮です。
ロックン・ロールへの激しい憧れはやがてギターへの欲望へと転化します。クラプトン少年は、見よう見まねで木の塊を切り出してギターを作ろうとした、とのエピソードまで残っています。そして、祖父母は13歳の誕生日プレゼントにギターを贈ります。1958年3月30日のことです。
この日を境に、クラプトンの人生が変わったことは、想像に難くありません。瞬く間に上達するのです。同時に、ブルースに魅せられます。人種差別が横行していた時代に虐げられていた黒人たちが奏でる歌とギターが孤独な少年の心に沁みたのでしょうか。ロバート・ジョンソン、ハウリン・ウルフなどなどが血となり肉となってクラプトンは成長します。
クラプトンが振り返ります。
「学校じゃニキビづらで誰も相手にしてくれない。それが、いったんステージに立つと何千人もの女の子がキャーキャー騒いでくれる」
ロンドンにて、「ギターの神」からクリームへ
長じて、アート・カレッジに進学。ロンドンへ出ます。実際は音楽武者修行です。成果はすぐに出ました。1963年10月、ヤードバーズに参加。翌11月には「アイ・ウィッシュ・ユー・ウッド」という曲で初レコーディングを体験します。『アンソロジー』のディスク1に収録されてます。ここから、プロフェッショナルとしてのキャリアが始まります。
その後、ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズへ参加。「ハイダウェイ」(ディスク1に収録)という曲に注目です。このバンドのリーダーは言うまでもなくブルース歌手ジョン・メイオール。極論すれば、ジョンのバックバンドとの位置付けです。が、この曲は歌のないインストゥルメンタル。主役は、クラプトンのギターです。色気と疾走感が混じった20歳の好演です。
この頃、ロンドンの繁華街の壁に「クラプトンはギターの神」という落書きが見つかります。クラプトンのギターには、レスポール製ギターとマーシャル・アンプという組み合わせによる骨太の音色で、ブルース音階を半端なく弾くという革新性がありました。英国の音楽ジャーナリズムもこの点を高く評価しました。
そして、クラプトンはヤードバーズを脱退し、新バンドを結成します。クリームです。ドラムにジンジャー・ベイカー、歌とベースにジャック・ブルース、ギターがクラプトンです。ロック・バンドの最小ユニットであるトリオ編集。ということは、各プレイヤーの力量がバンドの実力を直裁に決めます。
クリームの場合、いずれ劣らぬ名手が非常にソリッドな演奏を繰り広げます。しかもジャズ的な即興演奏が聴衆を激しく刺激します。クラプトンのギタリストとしての才が全開です。クリームは、1+1+1 > 3 でロック界の最先端に躍り出ます。「サンシャイン・ラヴ」(ディスク1)のイントロがロック史の新しい章を開きました。
ちょうどその頃、クラプトンは運命の女と出逢うのです。
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