「アンソロジー」でたどるクラプトンの軌跡 ロックの現代史そのものでもある

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まったく仮定の話をしましょう。もしもエリック・クラプトンがパティ・ボイドとめぐり合わなかったら、クラプトンの音楽キャリアはどうだったでしょうか。白人の割には黒っぽい雰囲気を出せる腕の良いセッション・ギタリストがいた、と記憶される程度で終わっていたかもしれません。ですが、1966年の早春にクラプトンとパティは運命的に出逢うのです。

「あんなキレイな女性とめぐり会えるチャンスは僕に絶対ないとわかってた……絶対にね。恋に落ちたと自覚してた。一目惚れだった……そして苦しくなる一方だった」

と、クラプトンが述懐しています。

この時、パティはビートルズのジョージ・ハリスンと結婚した直後でした。

クラプトンは、知る人ぞ知るスーパー・ギタリストとして売り出し中でした。ジョージはギタリストとしてのクラプトンを評価し、友だち付き合いをします。が、当時の実績と人気などを考慮すれば、ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの関係は、皇帝と従者みたいなものでした。

しかし、愛は、社会的な立場や才能とはまったく無関係に激しく芽生えます。禁断の蜜は甘美にして致死的な危険と隣り合わせです。その葛藤と苦悩が世界中で幾多の名作名演を生んで来ました。

疾風怒濤の日々~いとしのレイラ

エリック・クラプトンにもまた、パティとの禁じられた愛ゆえの名作・名演があるのです。

たとえば、1968年9月4日、ビートルズの『ホワイト・アルバム』の録音セッションでは、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のリード・ギターを弾きます。ロック史に残る名演です。その背景には、パティの影が見え隠れします。と、いうのも、クラプトンにしてみれば、ジョージと一緒に仕事すればパティに想いが行ってしまうのです。切なく、切なくて、しょうがないのです。必然的にギターが泣いてしまったのでしょう(コラム「『ホワイト・アルバム』は、どうして特別なのか」ご参照)。

パティへの満たされぬ思いがクラプトンの心身を蝕(むしば)み続けます。麻薬と酒に溺れます。パティを忘れるためほかの女性に恋してみます。が、結局、パティがますます愛おしくて仕方なくなるのです。心から血と涙が流れ出すのです。そして、クラプトンの最高傑作が生まれます。

1970年11月、フロリダ州マイアミのクライテリア・スタジオで録音されます。『いとしのレイラ』(原題:Layla and Other Assorted Love Songs)はLP2枚組で全14曲収録。捨て曲なしです。が、強烈な光を放つのがパティ・ボイドへの想いを直接的に歌った表題曲です。原題はLayla。この名前は、古代ペルシアの伝説的な悲劇のヒロインから命名されました。この曲も当然、『アンソロジー』に入っています(ディスク2)。

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