南インドの「美しい本」が人々を魅了する理由 本づくりの「あたりまえ」を実践する小出版社

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本の取材を通して彼らを見てきた中で感じたのは、タラブックスを特別なものにしているのは「美しい本をフェアにつくって世に送り出す」というあたりまえのことだった。

社会の下層で暮らす少数民族に「助けるために本をつくってあげる」という考えは彼らにはない。本をつくるのは美しい絵、語り継がれるべき物語がそこにあるから。シルクスクリーン工房の職人たちに食住を提供し、超過労働をさせず、やむをえないときには残業代を払って仕事をしてもらうのは自分たちがそういう環境で働きたいから。

ハンドメイド本の価格を抑えているのは、美しいものを多くの人の手に届けることがすばらしいと考えているから。新刊発行の予定がしばしば大幅に遅れるのは、納得できない本を読者に売りたくないから。タラブックスにとって、著者に、社員に、そして読者に“フェア”であることは「あたりまえ」のことなのだ。

「あたりまえ」を貫くことが難しいからこそ魅かれる

しかし、その「あたりまえ」を現代の商業ベースにのせて貫くことがどれだけ難しいかを私たちは知っている。だからこそタラブックスのゆるぎない価値観に、哲学に魅かれるのではないだろうか。

彼らの働き方を間近で見て、本まで書いた自分が言うのもおかしな話だが、極端な話、タラブックスのこうした哲学を知っていなくてもかまわない。以前にギータ・ウォルフとⅤ・ギータに話を聞いたときにこんなことを言っていた。

「本は世界に本だけで羽ばたいていくものだから、作家がそこについていって解説をするわけにはいかないんです。本そのものが語り出すような本でなければ」

彼らのことを知らなかったとしても、タラブックスの本を手に取れば、そこにはたくさんの決断と挑戦と物語への愛情をつぎ込んだものだということがわかる。彼らの考える答えは本の中にある。

それでも、タラブックスは多くの大人たちを惹きつける。それは私たちが今の働き方に、生き方に、迷いや疑問を持って、立ち止まりたい、考えたいと心のどこかで思っているからかもしれない。

野瀬 奈津子 フリーランス編集者・ライター

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のせ なつこ / Natsuko Nose

近著にタラブックスを取材した『タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる』(玄光社)、『持ち帰りたいインド』(誠文堂新光社)がある。KAILAS名義でインド関連書籍の企画・編集も行う。

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