それぞれの人が自分に合う試験制度を選べるように
大学入試改革について、ボクがもっと主張したいのは、「議論が極端すぎる!」ということです。
先日、報道番組を見ていたら、橋下徹大阪市長が登場していました。市長は大学入試改革に大賛成の立場で、お得意の(?)教育委員会を敵に据えて批判を展開するスタイルで、「成績情報が大半を占めるこんな調査票で子どもの人生が左右されるのはけしからん。人物評価を少なくとも3ページから4ページは導入すべきだ」といったことを主張されていました。
ボクが恐ろしく感じるのは、これによって「学力」主体の入試制度が崩壊してしまうのではないかということです。前述の通り、海外の面接ベースの入試制度も、もとを正せば「学力」を評価することを最重要課題に置いています。
日本のペーパーテストは、それはそれで優秀な学生をこれまでたくさん輩出してきました。全否定する必要はあるのでしょうか? 極端すぎるのではないでしょうか? さまざまな選抜形態を準備して、それぞれの人がおのおのの思想や目標に合った方法を選べばよいのではないでしょうか?
ボクにはどうしても、今の議論の進み方が現場を無視した机上の空論のように思えてなりません。
「ゆとり教育は失敗」のデジャブ
そういえば、似たようなことが最近もありました。「ゆとり教育は失敗した」といってカリキュラムが一気に増強されて、いろいろとフレキシブルじゃなくなってきました。
でも、ちょっと待ってください。じつは、人格形成に大きな影響をおよぼす小学校の時期にゆとり教育を受けた世代は、今は高校生や大学生。まだほとんど社会に出てきてすらいませんよ。
時期尚早ですね。極端ですね。ボクは、こうした判断が良い結果を導くとは、まったく思えないのです。
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