ラグビーの街、岩手・釜石でつなぐ復興の希望 2019年のW杯日本大会の新設会場は満員に
スタンドでは釜石のラグビー応援でおなじみの大漁旗も数多く舞っていた。ところが、メモリアルマッチではシーウェイブスだけでなく、ヤマハがトライしたときにも旗が振られていた。
不思議に思って大漁旗を持つ人に話を聞いてみると「フライキプロジェクト」に参画するメンバーだという。
「フライキ(富来旗)」とは大漁旗の通称。
震災の被害を受けた東北のラグビー選手を元気づけようと、2011年8月に立ち上げられたのが同プロジェクトだ。
希望があればラグビースクールから社会人まで東北のすべてのラグビーチームにフライキを贈る。スタジアムのお披露目当日は「オープニングゲームなので、いいプレーには敵味方関係なくエールを送ろうと考えた」(同プロジェクトの園部浩誉・代表理事)。W杯ではスタジアムが多くのフライキで埋め尽くされる夢を描く。
「このスタジアムはたくさんの感謝を乗せて、いま、未来へ向けて出航する」。スタジアムの「キックオフ宣言」をした釜石高校2年の洞口留伊さんは鵜住居小学校3年のときに震災に遭い、仮設住宅での生活が続いた。しかし、今はW杯開催を心待ちにしている。「海外から来た人たちの不安を取り除くことができるよう暖かく迎えたい」(洞口さん)。
W杯後にも残る釜石の財産にするために
むろん、地元は「歓迎一色」というわけではない。
スタンドの観客からは「スタジアム完成はうれしいが、W杯後に有効活用するのは大変だろう。口に出す、出さないはともかく、多くの人がそう思っている」(60代男性)。
「東京オリンピックも開かれることで資材の調達が難しくなり、復興が遅れてしまった」(50代女性)との指摘もある。
W杯開催はあくまでも通過点にすぎない。長い目でみれば、釜石にとって大事なのはむしろ、W杯後だろう。ラグビー関係者には、W杯後のスタジアムと釜石の街づくりに思いを馳せることも求められているように思う。
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