ラグビーの街、岩手・釜石でつなぐ復興の希望 2019年のW杯日本大会の新設会場は満員に

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ヤマハを率いる清宮克幸監督は試合後、「日本中のラグビーファンがこの街を愛し、名前を大切にしている」と話した。

釜石シーウェーブスとヤマハ発動機の試合も白熱した展開に。試合はヤマハ発動機が勝利した(筆者撮影)

多くのファンが「釜石」に特別な思いを抱いているのは言わずもがな。

新日鐵釜石という偉大なチームの存在があったからだ。

1970年後半から80年代半ばにかけて日本のラグビー界で他のチームを圧倒。日本選手権7連覇という金字塔を打ち立てた。

松尾雄治さんや森重隆さんなど大学卒のスタープレーヤーもいたが、チームで多数を占めていたのは東北の高校卒業の選手。口数が少なく、黙々とプレーする彼らのひたむきな姿がファンの心をとらえた。新日鐵釜石だけでなく、当時の日本代表メンバーとしてチームを支える選手も少なくなかった。

新日鐵釜石の強さを見せつけたプレーとして今も語り継がれているのが「13人つなぎ」のトライだ。1985年1月の社会人大会決勝、神戸製鋼との対戦で自陣からフォワードとバックスが一体になってパスをつなぎ、トライを決めた。

レジェンドたちのプレーに会場も沸いた

スタジアムのオープン当日には、メモリアルマッチに先駆けて当時の“レジェンド”が登場。新日鐵釜石の後に日本選手権で「V7」を成し遂げた神戸製鋼OBとのゲームに臨んだ。

8月19日のオープニングDAYに開催された新日鉄釜石と神戸製鋼のOB戦(筆者撮影)

レジェンドたちも今や50~60代。失礼ながら「快足ウイング」とは程遠い体形に変わってしまった選手もいた。

プレーでは足がもつれる場面もしばしば。それでも時折、現役時代を彷彿させるプレーも披露。

「13人つなぎ」とまではいかなかったが、スタンドからは拍手や笑いが沸き起こった。

新日鐵釜石のスクラムハーフとして松尾雄治さんとハーフ団を組み、日本代表としても活躍した坂下功正さんも“レジェンドマッチ”に出場。「芝生の状態もいいし、被害の大きかったこの場所に本当にスタジアムができたんだなあ」などと感慨深げに語った。

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