猪熊弘子・寺町東子『子どもがすくすく育つ幼稚園・保育園』は、保育事故の取材や弁護等をしてきた立場から、早期教育や習い事を売りにした園よりも、遊びに熱中できる園の魅力と実践例を描いている。
ただし、この本でも触れられているが、自由保育や自然保育はただの放任とは異なる。たとえば私が以前、日本で見学に訪れた幼稚園では、外遊びがしたい子は園庭で、中にいたい子は室内で遊ぶことを選ぶことができた。ほかの見学した保育園等では、何時何分から何時何分まで全員で園庭、または近くの校庭に行きますよーと声をかけて、「ほら早く靴はいて」「置いていかれちゃうよ」「はい、じゃああと5分で片付けて」とせきたてられているところも多い。これに比べれば、子どもたちが遊ぶ場所を選べる自由保育の魅力を感じた。
が、異年齢の複数クラスの子どもたちが思い思いの場所で遊ぶことになるので、遊ぶ場所、場所ごとに先生を配置することが必要になる。さらに園庭には子どもの足まで程度の深さの小さな池や子どもが木登りできる程度の木があるのだが、池については私が「これ、3歳の子とかは落ちないんですか」と聞くと、園長先生は「4月は落ちますよ。でも皆だんだん、どれくらいの角度で体を傾けると落ちて、どうすれば落ちないのか身をもって学んでいくので夏くらいには落ちなくなります」とニコニコしている。
「靴や服が泥だらけになるのが嫌な保護者の方はうちの幼稚園には来ないほうがいいと思います」とのことで、こういったスタイルをいいと思うかどうかには親子の好みや方針の違いはあるだろう。ただ、「自由に遊ばせる」「自然から学ぶ」というのには、それだけ大人の配慮や配置、余裕が必要になるということだ。
日本の「保育の質」への潜在的な不安
子どもに遊びに熱中してもらう、自然から学び取ってもらうには、かなり高度な「保育の質」が必要となる。保育園でもこうした保育を実践しているところもあれば、幼稚園でも一斉保育・集団で行うプログラムを重視した園も多い。ただ総じて、待機児童対策が優先し、豊かな保育といかない側面はあり、また保育園の場合は幼稚園に比べて子どものいる時間が格段に長くなる。
共働き親たちはこうした状況を知ってか知らずか、どこかで保育園だけに子どもを長時間任せていることに自信が持てない。“ともすれば、保育園にいる間、ただ子どもは放置されているのではないか。であれば、ぼーっとただ時間を過ごしているよりは、習い事化してくれていたほうがいい――”。親たちの園選びの基準まで習い事重視に偏っていくのには、日本の保育の質への潜在的な疑問があるのかもしれない。
保育環境が豊かで安心できるものになっていくことを求めるとともに、共働き家庭は専業主婦家庭が実践しているように見える「十全な育児」を目指さなくてもいいのではと、ちょっと立ち止まって考えてほしい。次回は、共働き家庭から聞こえてくる育児の悩みにもう一歩迫る。
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