「運命は服で変わる」を知った壮絶な幼少期
人は、装い次第で得をする。
さんざんファッション誌を読みこなし、さまざまな服を着こなしてきた大人世代ならば、果たして目新しくもないと思うフレーズかもしれない。でも、みなみ佳菜が人生を賭けてそれを知ったのは、弱冠8歳での体験からだった。
6歳の時に父親が家族を置いて家を出て行き、喫茶店を営むようになった母から日常的に激しい折檻を受け、やがてその母さえも新たな男性とほかの部屋に暮らすようになった。祖父母の家の近くに住んではいたが、ある時大人たちの会話の中に「食費」という言葉を聞いて、子供心に遠慮した。独りぼっちの家の中で、小さいみなみ佳菜は母親の帰りを待って何日も進物の昆布をかじっていた。
現代風に言えば育児放棄(ネグレクト)を受けたみなみの身なりはどんどん荒れ、かつては明るくひょうきんで、クラスの中心にいたはずの彼女の周りから人が離れ、消えていく。みなみは、徐々に言葉を失い、学校でうまくしゃべれなくなっていった。
「わたし、ホントはおもろいはずやん」
時折思い出したように帰ってくる母は、食費のつもりなのか、千円札を置いていった。食べ物を買ったお釣りをコツコツと貯め、ある日衝動的に明るい黄色と白のボーダーTシャツを買ったみなみは、それを着て級友たちの遊ぶ公園に姿を現した。
「あっ、佳菜ちゃん」と、誰かの声が上がった。「何それ、めっちゃ可愛いやん!」「どこでこうたん?」。学校では自分を見ないふりをしていた子供たちが次々と集まり、みなみを遊びの輪の中に受け入れてくれた。お腹は空いていたが、胸はいっぱいになった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら