ブラック校則問題で裁判所がお茶を濁す事情 人権を侵害し尊厳を踏みにじる「学校の常識」

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校則は強制力を持つ規範ではなく、教育的な指導ないし教育的な配慮なのだから、学校に任せるべきものだという考え方もある。単なる指導や配慮によって権利侵害が起きることはないので、司法の判断の対象ではないという理屈になる。

いかなる理屈に拠るにせよ、理不尽な校則に対して、裁判所による救済がなかなか働かないという事態に変わりはない。結局「特別権力関係論」と同じ結論になってしまうのだ。「どうも裁判所は当てにならない」というのが、筆者の偽らざる印象である。

裁判所による救済がなかなか働かないのなら、市民が代わって監視するしかない。

NPO法人キッズドア理事長の渡辺由美子さんたちが発起人になり、「ブラック校則をなくそう!」プロジェクトを立ち上げた。同プロジェクトでは「ブラック校則」を「一般社会から見れば明らかにおかしい校則や生徒心得、学校独自ルールなどの総称」と定義し、そうした理不尽な校則や運用方法を、時代に合ったルールにしていく議論を進めたいという。歓迎すべき動きだ。

子どもたちの意見を聞くべき

理不尽な校則は、健全な市民感覚によってその見直しを求めていくのがいいと思う。その際には、当事者である児童生徒の意見を幅広く汲み上げることも必要だろう。

そういう議論を行うべき場は、学校制度の中にもともと用意されている。

まずは教育委員会だ。

公立学校を管理する教育委員会の委員は、本来普通の市民感覚を教育行政に反映させることが期待されている。教育委員会の使命は「レイマン・コントロール(素人統制)」だといわれるゆえんである。校則をめぐる問題は、教育委員会の場で委員同士で話し合うのに適した課題だと思う。

また、保護者や地域住民が加わる学校運営協議会を置く「コミュニティ・スクール」では、学校運営協議会の議題として取り上げてもいいだろう。

もちろん、PTAもそうした議論の場としてふさわしい。

どこで議論するにせよ、校則のあり方について議論する場合には、児童会や生徒会の代表の出席を求めるなどして、当事者である子どもたち自身の意見を十分聞くことが必要だ。

「学校の常識は社会の非常識」などと揶揄される事態を変えていくためには、そういう議論を積み重ねていくことが大事だと思う。

前川 喜平 現代教育行政研究会代表、元文部科学事務次官

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まえかわ きへい / Kihei Maekawa

東京大学法学部卒業後、旧文部省入省。初等中等教育局長などを経て2016年事務次官。2017年1月、天下り斡旋問題で辞任。現在、全国各地で講演しながら、「教育政策をめぐる現代的諸課題」をテーマに日本大学文理学部で講義するほか、夜間中学での指導にも当たる。

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