「荻窪ラーメン」50年の名店が迎えた最後の日 一代で築いた「中華三益」は淡々と幕を閉じた

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「お客さんが来て、お店が繁盛して、またお客さんが来て益々繁盛するように」という「三」つの「益」の意味を込めて「三益」と名付けた。

三益(筆者撮影)

荻窪は大正から昭和初期にかけては「西の鎌倉、東の荻窪」と言われるほどの庶民のあこがれの地だった。文化人や文豪が多く住み、別荘地としても栄えていた。戦後から荻窪駅の北口にはラーメン屋が並び、「荻窪ラーメン」が特集されるようになる随分前から実はラーメン激戦区だった。これらのお店には作家文人のファンも多く、彼らの著作や映画の舞台になったお店も数多い。

こだわりの自家製麺(筆者撮影)

寺田さんは、蕎麦職人時代にラーメンを作ったことがあったので、製麺からスープや具の仕込みまですべて自分でやった。製麺機は開業当時から使っていたものだ。朝5時20分に来て、まずは麺打ち。最終日まで毎日続けていた。製麺機のメンテナンスまで自分でやっていたという。

当時から庶民的な価格でラーメンを提供

開業時の値段は1杯50円。周りのお店はだいたい90円ぐらいだったが、値段を抑えた。蕎麦やうどんも80~90円、コーヒーは1杯100円の時代。当時から庶民的な価格でラーメンを提供していたことがわかる。あこがれも目標もない。生きていくために店を始めて気づいたら50年が経った。

カップラーメンブームの頃にお店存続の危機が訪れた。お店の近くにあるサウナから毎日のように出前が来ていたが、カップラーメンが出て2年間パッタリ来なくなったからだ。それでも毎日自家製にこだわってラーメンを作り続けた。お客さんは再び戻ってきた。

ラーメン(筆者撮影)

ラーメンの味は50年前からまったく変わっていない。具はチャーシュー、ネギ、メンマ、ノリ。麺は自家製麺で中縮れの柔らかめ。魚介がほんのり利いた何ともホッとする1杯。当時を生きていなくても懐かしさを感じる、とてもおいしいラーメンだ。ラードでベタッと炒めたチャーハンもおいしい。ラードと醤油ダレは昔から味の核となっている。

チャーハン(筆者撮影)

「物のない時代はラードと醤油だけで何とか旨く作ってたものだよ」(寺田さん)

筆者はこのたびの閉店にあたっても最終日にお邪魔し、「中華 三益」の最後の日を見届けた。

その日は遊びに来ていた寺田さんのひ孫が「準備中」の札を「営業中」にひっくり返して営業スタート。寺田さんはいつもどおり白衣姿だった。「着るものは絶対に白。白衣ってのは汚れが目立つために白なんだよ。やっぱり医者と飲食業は白を着ないと」(寺田さん)

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