「福島競馬場」が日本で最も熱かったあの夏 今年迎えた100周年、93年七夕賞を振り返る

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1993年7月11日の七夕賞で圧勝したツインターボと鞍上の中舘英二騎手(写真:JRA)

日本中央競馬会(JRA)福島競馬場は1918年(大正7年)6月28日に第1回の福島競馬が行われて以来、記念すべき開設100周年を迎えた。20日には記念式典も行われた。

100周年を迎えて最初の開催が30日に開幕。この日参加したジョッキー全員がウイナーズサークルに勢ぞろいし、ファンに100周年の感謝の言葉を述べた。全国一競馬熱が高いと言われる福島の市民が支えてきた福島競馬にとっては大きな節目となった。

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福島で近代的な洋式の競馬が行われたのは1887年(明治20年)といわれる。

一時は郡山の開成山に場所を移したものの、国の公認競馬とはならなかった。当時、経営が行き詰まっていた静岡県の藤枝競馬俱楽部から権利を譲り受け、あらためて福島市で始まった。

福島の要人たちの熱意が行政と市民を動かし福島競馬を発足させた。

発足当時は競馬法が施行される前で補助金競馬の時代のため馬券の発売はなかったが、1923年(大正12年)に競馬法が施行されて馬券の発売が開始され、順調に売り上げを伸ばして経営は安定した。太平洋戦争での中断はあったが、国営競馬の時代を経て、戦後に日本中央競馬会が発足してから、開設の地で現在も福島競馬が続いてきた。

2011年3月11日に発生した東日本大震災の大きな危機も乗り越えた。筆者は地震が発生した時、競馬場スタンド最上階の6階の記者室にいた。あの大きな揺れを体験したことは今でも忘れられない。スタンドは大きなダメージを受けて損壊し、東電福島第一原発の事故の影響で一時的に放射線量も高くなり除染作業に追われた。

もしかしたら歴史は93年で終わっていたかもしれない。関係者の努力で2012年4月に開催復活にこぎつけ、今夏に無事100周年を迎えることができた。

100年の歴史で大きな印象に残る1993年七夕賞

2012年4月7日。春の福島競馬が開幕した。福島競馬場で競走馬が走ったのは2010年11月21日以来、実に503日ぶりだった。再開当日の第1レースにスターターが壇上に上がってファンファーレが鳴り終わると場内から大きな拍手が巻き起こった。福島の人たちは競馬再開を待っていた。あの瞬間を競馬に携わる者として忘れることはないだろう。

多くの競馬ファンの記憶に残るツインターボと中舘騎手の騎乗を振り返る(写真:JRA)

福島競馬場の100年の歴史の中で、ファンにとって大きな印象に残るレースがある。1993年の七夕賞だ。

中舘英二(なかだて・えいじ)騎手を鞍上にツインターボが衝撃の逃げ切りを決めた。

これまで2014年の七夕賞メモリアルホース、2017年の福島競馬場思い出のベストホースの投票でも圧倒的な支持を受けて1位に選ばれた。

100年の歴史で4万7391人の入場者レコードを記録した1993年7月11日。

あの「福島競馬場が最も熱かった日」を振り返る。

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