「福島競馬場」が日本で最も熱かったあの夏 今年迎えた100周年、93年七夕賞を振り返る

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七夕賞は福島記念と並び、1965年(昭和40年)に始まった福島競馬場で最も歴史のある重賞レースだ。8月15日に行われ、パナソニツクが第1回のレースを制している。筆者が生まれた年だった。以来、50年以上にわたって福島競馬の名物レースとして定着している。

1993年の7月は冷夏だった。当時の七夕賞は開催最終日に夏の福島競馬のフィナーレを飾るレースとして行われた。日差しが照り付け、気温がグングン上がり、福島市の最高気温は30.6度と7月に入ってから初めての真夏日となった。だからこそ筆者もこの日が暑かったという印象は強い。

七夕賞の熱狂的な記憶

場内は朝から大勢のファンが詰め掛け、異様な熱気に包まれた。午後になるとレースごとに馬券を買う列が長くなった。七夕賞を迎えるころにはスタンドの中を動くのがやっとの状態で、馬券売り場はまるでラッシュアワーの電車の車中のようになった。当時のスタンドは現在のように空調が完備されていなかった。ファンは汗だくになりながら馬券を買った。

当時は席を確保できなかった大勢のファンが階段に新聞紙を敷いて座っていたために、階段を上がるのも一苦労した。1997年に完成した現在のスタンドは直後の開催で4万人を上回ることが何度かあったが、この日の入場者の4万7391人は今なお破られない福島競馬場の入場者レコードとなっている。

入場者数のレコードを記録したスタンド(写真:JRA)

中舘英二騎手は当時27歳。デビュー10年目を迎えていた。

巧みなスタートで先行する騎乗を得意として、年間30勝前後を挙げて着実にトップジョッキーの地位を築き始めていた。

そんなときにツインターボと出会った。ツインターボは1991年にラジオたんぱ賞を逃げ切り、同年秋は福島記念でも逃げて2着と好走した。

スピードが武器の逃げ馬で福島コースを得意としていたが、七夕賞のころは出遅れが続いて逃げるのにも苦労する競馬が続いていた。陣営はスタートが上手な中舘騎手に依頼した。中舘騎手ならいいスタートを切らせて逃げてくれるだろう。関係者のそんな期待を受けての騎乗だった。

あれだけ強烈な印象を残したツインターボと中舘騎手の黄金コンビは実は意外にもこの七夕賞が初めてだった。16頭立ての大外8枠16番。不振が続いていたが、ツインターボの福島での強さを知るファンは根強く3番人気に支持した。

次ページ当時のツインターボの印象
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