「福島競馬場」が日本で最も熱かったあの夏 今年迎えた100周年、93年七夕賞を振り返る

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「逃げの中舘」はその後、福島を中心にローカルで勝ちまくり、2015年に引退するまでJRA通算で1823の勝ち星を積み重ねる名ジョッキーとなった。

中舘騎手は「あのときはいい馬にいいタイミングで乗せてもらったなというぐらいの気持ちしかなかった。まさかこれほど皆さんに愛されるコンビになるとは思いもしなかった」と振り返る。

「でも、一つの型をイメージしてもらって、強い逃げ馬を頼まれるきっかけにもなった。逃げ馬は英二に任せておけば大丈夫と言われるような型を持てたことはツインターボに感謝している。自分の騎手人生を振り返ると運命の出会いでしたね」とあの熱かった日を振り返る。

1823勝のうち福島競馬場では約4分の1にあたる歴代2位の425勝を挙げた中舘騎手。2015年4月に福島競馬での長年の功績をたたえて福島競馬記者クラブ特別賞を贈った。1月末に最後の騎乗を終えて、すでに引退して3月から調教師となっていた中舘騎手の福島のファンに向けての引退セレモニーともいうべき4月26日の授賞式は大勢のファンから「中舘ありがとう」「お疲れさま」と大きな声援が飛んだ。

「福島で長い間騎乗してきたことは間違ってなかったと思った。誇らしい気持ちになった」

名手の花道をファンは祝福した。

今年の七夕賞に期待したいドラマ

ツインターボはオールカマーで逃げ切った後、燃え尽きたように逃げて失速を繰り返した。JRA通算23戦5勝。重賞はラジオたんぱ賞、七夕賞、オールカマーの3勝。1995年5月の福島での新潟大賞典11着を最後に山形県の上山競馬に移籍し12戦1勝で1996年に引退。宮城県で種牡馬となったが5頭の産駒を残しただけで1998年1月15日に心不全で不遇の死を遂げた。まさに競走馬のときと同じように一気に駆け抜けた生涯だった。

それでも今なお中舘・ツインターボのコンビは福島の、全国の競馬ファンに強烈な印象を残し続けている。あれから25年の月日が過ぎた。今年の七夕賞は7月8日、「福島競馬場開設100周年記念競走」として行われる。このレースが福島競馬場で開催される重賞201レース目となる。

今年はどんなドラマが待っているのだろうか。

高橋 利明 福島民報 記者

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たかはし としあき / Toshiaki Takahashi

1965年生まれ。子どもの頃から地元の福島競馬場に通う。1989年に成蹊大学卒業。入社2年目の1990年に念願の福島民報社競馬担当記者へ。1993年から本紙予想を担当。福島テレビ、ラジオ福島の競馬中継にも出演。永遠のアイドルホースはハイセイコー。競馬の現場記者であり続けることが目標。
 

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