かつて『JJ』、『anan』が女性誌の二大巨頭だった時代は、『JJ』の読者と『anan』の読者は、ある意味、対峙していました。でも今の読者についていえば、どちらの雑誌も渡り歩いて使い分ける。本音ではわかり合えない友達も、それはそれで必要悪。そういう感覚なのです。消費のスタイルもそうで、雑貨を買うならイケアにもニトリにも、100円ショップにも行く。
――読者にとって、位置づけのわかりにくい雑誌にはならなかったのでしょうか?
確かに書店や代理店は、創刊時、「いったいどの雑誌の隣に置くべきなの?」と、混乱しました。ところが読者は、ちゃんとわかってくださった。程なくミクシイに『Mart』のコミュニティが立ち上がりましたが、そこに管理人さんが書いてくださっている読者特性や媒体説明が、かなりよくできていた。われわれは、ここを見て研究すべきだと思いました。出版社や書店の論理だけで作ってはいけないと。
モノでも同じことです。食品でも雑貨でも、「こういうものが欲しいだろう」を決めてかかって、実際主婦側からすると「それ、全然いらないんですけど」となることはよくあります。要するに、自分のコミュニティ内で共有できないものには、リアリティがないんですね。しかもその関心事は、つねに流動的。どんどん変わっていくのだということが念頭にないと、対応しきれないですよ。
主婦であることを、押し付けられたくない
――女性誌だと、白黒のページでお悩み相談とかインタビューがよく載っていますが、『Mart』ではそぎ落とされていますね。理由があるのでしょうか。
確かに、生活感がないと言われることもあります。初めの頃は「主婦のプチうつ」といった記事もやっていたのですが、今はやめてしまいました。結局、「主婦であること」の押し付けという印象を持たれてしまうからです。
港北の主婦に「君たちはどういう主婦に見られたいの?」と聞いて、「そもそも主婦に見られたくないんですけど」と怒られたことがあります。主婦が主婦に見られたくないって、それ旦那はどう思うのだろう……と、初めはショックでしたが、別に旦那や子どもを消し去りたいという気持ちではない。「主婦らしさ」みたいなものから解放されたいということなのです。
そう考えてみると、主婦の情報誌って、案外「主婦であること」を押し付けていくような作りになっていると感じました。もちろん、プチうつといった事象の実態を取材して取り上げることは大事ですが、そういった話を全面に出されると、うっとうしいと思われる。「あなたは主婦である」と訴えかけてくる雑誌を、わざわざおカネを出して買いたくないのでしょう。
主婦は、つねに夫や子どもと一緒というわけではありません。そして、そういう一緒でないときの時間の使い方こそ、コミュニティでの話題になっている。運動会ファッションとか子ども部屋のインテリアも、100%子どものためというより、ママ本人のこだわりであることが多いですよね。でも、それでいいじゃないかと。そういうところに、消費のすごく大きなパワーを感じます。
――まあ、ママの機嫌がよければ、家庭は平和ですからね(笑)。
本当にそう思います。そうした家庭のリアルな実態を、もっと企業の方にも理解してほしいですね。
たとえば車。アンケートを取ると、主婦の約7割が平日に車を運転すると答えます。でもミニバンの広告って、必ず週末に旦那が運転して、親子でキャンプみたいなストーリーじゃないですか。これって、リアリティがあるのでしょうか。
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