49歳、「絶滅動物の復元画」を究める男の稼業 ひらめきや瞬発力ではない積み上げが礎に

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モンゴルでは化石はたくさん取れるのだが、モンゴルには組み立てる施設もなければ人もいない。化石を借りてきて、日本で展示する形に組み立てなければならない。モンゴルの化石はとてももろく扱いが難しい。

現場には、世界的に有名な研究者やその助手も来ていて、いろいろ教えてもらいながらの作業になった。

「大学時代に美術解剖学という授業がありました。それは薄暗い部屋で延々とスライドを見せられるという、つまらなくて眠い授業だったんですけど、でも骨の名称は頭に残ってました。それが役に立ちました」

恐竜の骨にも基本的には人間の骨についた名称、解剖学用語を使う。頚椎は頚椎だし、肋骨も肋骨だ。ただし胸椎と腰椎は恐竜にはなくて胴椎になっているなど一部は異なっている。

「やってるうちに、ここは上腕骨だよな、でここは肩甲骨だ……とだんだん思い出していきました。そしたらグッと面白くなってきました。なにより自然が作る形というのは、やっぱり美しくて魅力的です」

作業中にはよく図鑑を見た。海外の図鑑を見ると恐竜の絵がすごくきれいにカッコよく描かれていた。そして日本の図鑑を見てみると、正直今ひとつだなだと思った。

「だったら僕が描こうって思ったんです。アカデミックに古生物を描く画家もあまりいなそうでしたしね」

復元の作業の過程で、当時まだ若手だった古生物の研究者と出会うことができた。「国立科学博物館で勉強会をやっているから遊びに来ませんか?」と誘われ、足を運ぶとまた新たな研究者に出会えた。徐々に人脈が広がっていった。そして仕事を頼まれるようになっていった。

「そうして古生物の復元の仕事をするようになりました。僕はあまり主体性のない人間なのかもしれないです。振り返ると、全部たまたまなんですよ(笑)。藝大に行ったのも、古生物の復元をはじめたのも。

ただ毎日絵を描きたいとは思ったんです。それまでもバイトをしながら絵は描いていましたが、自分の体力や時間、絵の具などを消費して制作しても何も得ていなかった。ちゃんと収入を得る形で絵を描きたかったんです」

ただしそれまでの日本の古生物復元画のやり方である、研究者からトップダウンで指示される形式では描きたくないと思った。そのやり方では最終的に出来上がったものに文句を言われかねないからだ。

そのやり直しには根拠がある

「『だったらラフの段階から共同作業をやりませんか?』と提案しました。研究段階からメールなどでやり取りし、ラフスケッチを描いていくスタイルです。研究の精度が上がればこちらも精度の高いペン画などにして仕上げていきます。ただし研究の過程で振り出しに戻ってしまうこともよくあります」

「これ、なんか違うんだよね~」みたいな根拠が薄いやり直しではないところがいい(筆者撮影)

ただし振り出しに戻るのは嫌なことではないという。「新しい論文が出たのでリファレンス(参照)したい」と言われればそれに合わせて修正して描く。そのやり直しには根拠があるからなんら問題がない。

広告代理店などと仕事をするとよく言われる「これ、なんか違うんだよね~」みたいな根拠が薄いやり直しではないのだ。

「そんなモヤッとした嫌な描き直しはないですね。そういう世界じゃないので。向こうがきちんと根拠を示さなければ、こちらも絶対に直しませんしね」

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