49歳、「絶滅動物の復元画」を究める男の稼業 ひらめきや瞬発力ではない積み上げが礎に

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「東京藝術大学は、とにかく放任主義の学校でした。休講も多かったし、授業もサボっていても最後にレポートさえ出せば単位が取れる。そんな授業が多かったです。

東京藝大には8階建ての絵画棟と呼ばれる建物があるんです。天高が3~4メートルもあって、北窓から自然光が入る美しい空間でした。そこに自分のスペースがもらえるんです。だから学校に通うというより、貸アトリエに通っている感じでしたね」

大学時代はオペラを学生の有志で作る「東京藝大オペラプロジェクト」に熱心に参加した。

「80年ぶりに復活したプロジェクトでした。1年の時は片足を突っ込む程度でしたけど、2年からはどっぷりハマって打ち込みました」

オペラを歌うのはもちろん音楽学部の学生たち。舞台も衣装もポスターも全部学生の手で作った。小田さんは舞台で使う、刀やカンテラなどの小道具を作った。

「自動車の運転もみんな学生でやりましたね。免許証取り立てで2トントラックで資材を運ぶんですから大変です。京都で屋根瓦に引っ掛けちゃって壊しちゃったこともありました。保険で弁償することになりました。謝ったら『プロの運転手も引っ掛けるんだよ~』なんて許してくれましたけど」

オペラプロジェクトはサークル活動のようで楽しく充実していた。

大きい絵のほうが描いていて気持ちがよくって好き

もちろん大学では個人的な絵画も描き続けた。現在の具象的な画風に比べるとやや抽象的な作品が多かった。

そのまま大学院に進み、壁画の研究室に入った。レンガで作った壁に漆喰(しっくい)を塗ってフレスコ画を描いた。

「それまでも2メートルくらいの絵は描いていたんだけど、それ以上のサイズの絵が描けたのは楽しかったですね。僕は小さい絵から大きい絵まで描けますけど、大きい絵のほうが描いていて気持ちがよくって好きですね」

大学を卒業した後も絵は描き続けていた。ただし絵だけでは到底食べられないので、消防設備の点検助手のアルバイトをしながらの創作になった。

ここまで読んだ読者の皆さんは、小田さんの口から動物や恐竜に対するエピソードが出てこないのを不思議に思ったかもしれない。実はまだこの段階では小田さんは動物にも恐竜にも興味を持っていないのだ。

「小さい頃には人並みに恐竜展に行ったり、図鑑は見ましたけどことさら好きだったわけじゃないですね。ガンダムや自動車のほうがはるかに好きでした(笑)。これは今でもそうで、F1が開催されている時はソワソワしてしまいます。

ただ“骨”はメカニカルで好きですね。とても合理的で。人間ではとてもこんな形は作れないだろうなという部分に引かれました」

1996年に知り合いの彫刻家から、「人手が足りないから来てくれ」と頼まれた。どんなことをするのか?と聞くと、モンゴルから送られてきた恐竜の骨格を組み立てるという。

「そのまま拉致されて群馬の山奥まで連れて行かれました。1日にバスが2~3本しか来ないような、寒村です。そこで初めて恐竜の化石を触りました」

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