「もう1つのW杯」に挑む、諸江剣語31歳の挑戦 プロサッカー選手の夢を諦めた男が目指す先
かつてのチームメートで、今でも諸江と親交が深いドリブルデザイナーの岡部将和氏は、当時の諸江の様子をこう話す。
「あの当時の選手たちは、みんなギラギラしてたんですよね。“俺がトップに上り詰めてやる”っていう選手が多い中で、しっかりと人の意見を聞いてコミュニケーションが取れる、そんな人間でした。だから周りからはすごくかわいがられていましたね」
実力はあるのに、その優しい性格があだとなり、出場機会すら得られない苦しい日々が続く。幼い頃から、つねに陰で諸江を支え続けてきた母の諸江幸恵さんは、苦しい時期を過ごす息子を案じていた当時を懐かしむように、こう振り返った。
「それでも、よく試合を見に行っていましたね。当時は新幹線も通ってなかったから、車で何時間もかけてね。剣語が試合中に、ベンチの脇でウォーミングアップをし始めると、“もしかしたら今日は試合に出してもらえるんかもなぁ”なんて期待してね。もちろんチームが勝ってうれしいんだけど、結果的には、いつも“今日も剣語は試合に出られんかったねぇ”なんて言いながら、石川まで帰っていました」
ある人物との出会いで訪れた転機
そんな諸江にフットサル選手として大きな転機が訪れたのは、2010年だった。2009年に全日本選手権制覇の偉業を成し遂げた須賀雄大監督が、“自分が育ててみたい”と諸江にオファーを出したのだ。須賀監督の強い熱意に打たれた諸江は、当時、Fリーグの下のカテゴリーである関東リーグに所属していたFUGA TOKYO(現フウガドールすみだ)への移籍を決断する。
トップカテゴリーからの「都落ち」であり、周囲から反対の声もあった。だが、ここから諸江のフットサル人生は再び成長曲線を描き始めることとなる。
須賀監督が諸江に与えたポジションは、フィクソだった。
フィクソとは、チームにとって攻守の要となるポジションで、試合運びをコントロールする明晰な頭脳、ボールロストしないキープ力、相手のエースを封じ込める1対1のディフェンス力、パスセンスなど、さまざまな能力が求められるポジションだ。
責任感の強い諸江は、チームの中心的な役割を任されたことで自信と自覚が芽生え始めた。チームを背中で引っ張り、時に声を張り上げて最後尾からチームを鼓舞する姿も見られるようになった。以前の諸江からは考えられない姿だった。こうして、フットサル選手としても人間としても殻を破った諸江は、チームの大黒柱へと成長していった。
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