ドリブルに勝機を見いだした男の果てない夢 独自理論を確立した岡部将和氏が語る哲学

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

「身体を大きくしようとして、食事の回数を増やしたりしました。でも、身体は大きくならなかった。いま考えると、もっと伸ばすべきところがあったはずなんですけど、当時の自分には気づくことができなかったんですよね」

試合に使ってもらえないもどかしさや不満、自分自身への歯がゆさから、最終的にはチームを辞めてしまったが、それでも、チームを変えて大好きなサッカーを続けた岡部が、“ある大切なこと”に気づいたのは、高校生の頃だった。

当時岡部が憧れていた選手は、アルゼンチン代表のパブロ・アイマール。目の前の敵に勝ちにいく中でも、相手に敬意を払い、サッカーを楽しむ姿に心躍らされた。

「すべてを手に入れるほどの才能はない。だからこそ自分が好きなものを追求していこう」

楽しいからサッカーをやるんだという本質的なことに気づいた岡部は、自分が大好きな攻撃、大好きなドリブルに磨きをかけていくことにした。たくさんの失敗を重ねたが、ちょうどこの頃から、なぜ成功したのか、なぜ失敗したのか、をしっかりと分析して言語化することを怠らずに続けていくようになっていった。

フットサルとの出会いで、さらに磨かれたドリブル

大学を卒業する頃、先輩から “日本のフットサルリーグがプロ化するから、絶対にチャレンジしたほうがいい”と勧められる。どうせ挑戦するならいちばん強いところでやってみたいと考え、その年のフットサル全日本選手権で優勝したプレデター浦安(現在のバルドラール浦安)の門を叩いた。こうして岡部はフットサルという新たな世界に飛び込んでいった。

選手時代を共にし、現在も岡部と親交が深い、フウガドールすみだキャプテンの諸江剣語選手は、出会った当時の様子をこう語る。

「とにかく天才的でした。一人で簡単に点を取っちゃうんですよ、相手を一人二人とドリブルでかわして。メチャクチャ速くてうまくて、ドリブルとシュートのセンスがハンパじゃなかった」

次ページ指導者に転じた岡部
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事