飯舘村から考える日本の政治の欠陥と処方箋 黒川清氏が田中俊一氏を訪ね、話し合った

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黒川:原子力を続けるにしても続けないにしても、長期的に人材がいるということですね。

田中:やめるとしても、廃炉の問題があります。すぐに人を枯らしていい、予算を枯らしていいということではありません。

――規制委員長としての田中先生は、事故後に原発の再稼働を進める役割を担われたと見ることもできます。その一方で、飯舘村では息長く被災者の支援を続けておられます。この2つの活動が、ご自身の中で、ぶつかることはないですか。

原発をどうするかは、国民が判断しないといけない

田中:再稼働を進めたという意識はないんですよ。稼働をして、二度と事故を起こさないための条件を、きちっと見るというのが新しい規制だし、それを行いました。その結果として、原発をどうするかということは、本来、国民が判断しないといけない。まずは国会で議論をしないといけないと思いますが、そこがきちんとできていません。オール・オア・ナッシングの議論をしても、議論にならないんです。エネルギーの問題は、歴史的にみて、そう簡単な話ではありません。国際政治をみても、いまだに石油で動いているところがあります。さまざまな要素を全部含めて、どうするべきか、議論をしていく必要があります。

再生エネルギーも、大いに利用すべきだと思っていますが、まだ、技術的には未成熟です。そういった問題も含めて、判断する必要がありますが、どうしても、日本は感情的な議論に流れてしまう傾向があります。なにがなんでも、原子力を使わないといけないとは思いません。いったん間違えるとリスクが大きいですから、あまり使わないほうがいい。でも、やはり人類は原子力を選択して、相当程度使っているというのも事実です。だからこそ、今回のような事故をもう、起こしてはいけない。

飯舘村のあちこちに、放射線量を測定する機器が設置されている(筆者撮影)

原発事故の被災者の問題は、単に同情をしていてもだめなんです。子育て世代は、飯舘から避難して交通の便がいいところで生活しています。帰ってきても仕事もなければ、教育も不十分です。病院もありません。さまざまな問題が複雑に絡み合っています。外に拠点を持ったという選択を否定することはできません。しかし、それでも、飯舘に帰ってきた人、帰ってこようと思う人を、サポートしていこうと考えています。

黒川:原発の事故で、多くの人の人生が変わりました。実は、ひとごとではありません。イマジネーションを持って、自分が被災者で、小学生の子を持っていたらどうしよう、仕事はどうしようか。自分だったらどうするか、なにをすべきか、自分の立場や職業でなにができるのか。つねに考え続けていく必要があると思っています。

協力:石橋哲(衆院原子力問題調査特別委員会アドバイザリー・ボード会員)

小島 寛明 ジャーナリスト

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こじま ひろあき / Hiroaki Kojima

1975年生まれ、上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒。2000年に朝日新聞社に入社、社会部記者を経て、2012年退社。同年より開発コンサルティング会社に勤務し、モザンビークやラテンアメリカ、東北の被災地などで国際協力分野の技術協力プロジェクトや調査に従事した。2017年6月よりフリーランスの記者として活動している。取材のテーマは「テクノロジーと社会」「アフリカと日本」「東北」など。著書に『仮想通貨の新ルール』(ビジネスインサイダージャパン取材班との共著)。

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