――黒川先生は医学、田中先生は工学と分野が違います。おふたりのお付き合いはいつごろから?
田中:黒川先生は、国会事故調(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)が終わって、わたしが委員長になった後、委員長室に2、3度おいでになりましたね。
黒川:先生はすごく頑張っていたから、応援団として伺ったんです。わたしのところに来る海外の見解などもお伝えしたくて。5年間、本当にご苦労さまでした。大変でしたね。
田中:いろんな方にサポートしてもらったから、なんとか5年務まったんです。
元の職場には戻らないという覚悟を持って来ていた
黒川:委員会は、下の組織が難しかったでしょうね。
田中:役所はいつも審議会を横のほうに置きますが、規制委員会は、三条委員会(注:国家行政組織法第3条に基づく委員会で、独立して意思決定をする権限がある。原子力規制委員会や公正取引委員会がある)で、5人の委員が上に立っているというのは、とってもよかったんです。(原子力)規制庁の初代長官も池田克彦さんで、第88代の警視総監をされた方でしたから、非常に重みがありました。
ほかの省庁から来ていた幹部も、元の職場には戻らないという覚悟を持って来ていました。原発事故についての重い反省もあり、それがよかったんではないかなと思っています。若い方も、いったん元の職場に戻っても、規制庁がいいと言って戻ってくる人もずいぶんいます。意外と、中では自由にものが言えますから。
黒川:それは、スタッフの人たちにとっても元気の出る話だね。
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