飯舘村から考える日本の政治の欠陥と処方箋 黒川清氏が田中俊一氏を訪ね、話し合った

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黒川清氏(左)と、田中俊一氏(右)のふたりは、原子力をめぐる議論の現状を、どうみているのだろうか(筆者撮影)
福島の原発事故後に設置された、原子力規制委員会の初代委員長を務めた、田中俊一氏(73)はいま、福島県飯舘村で暮らし、アドバイザーとして村を支援している。
原発事故の検証を担った国会事故調の委員長を務めた黒川清氏(81)は、衆議院に設置された原子力問題調査特別委員会のアドバイザリーボードのトップとして、国会がどのように原子力行政を監視しているか、見続けている。
原発事故から7年以上が過ぎ、アドバイザリーボードを含め、再発防止を目指すさまざまな取り組みには、注目が集まりにくい。しかし、立ち位置こそ違っても、2人の学者の取り組みは、いまも静かに続いている。
福島の事故で、全住民が避難を強いられていた飯舘村で暮らす田中氏は、原子力をめぐる議論の現状を、どうみているのだろうか。4月27日、黒川氏とともに、飯舘村を訪ねた。

――黒川先生は医学、田中先生は工学と分野が違います。おふたりのお付き合いはいつごろから?

田中:黒川先生は、国会事故調(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)が終わって、わたしが委員長になった後、委員長室に2、3度おいでになりましたね。

黒川:先生はすごく頑張っていたから、応援団として伺ったんです。わたしのところに来る海外の見解などもお伝えしたくて。5年間、本当にご苦労さまでした。大変でしたね。

田中:いろんな方にサポートしてもらったから、なんとか5年務まったんです。

元の職場には戻らないという覚悟を持って来ていた

黒川:委員会は、下の組織が難しかったでしょうね。

田中:役所はいつも審議会を横のほうに置きますが、規制委員会は、三条委員会(注:国家行政組織法第3条に基づく委員会で、独立して意思決定をする権限がある。原子力規制委員会や公正取引委員会がある)で、5人の委員が上に立っているというのは、とってもよかったんです。(原子力)規制庁の初代長官も池田克彦さんで、第88代の警視総監をされた方でしたから、非常に重みがありました。

ほかの省庁から来ていた幹部も、元の職場には戻らないという覚悟を持って来ていました。原発事故についての重い反省もあり、それがよかったんではないかなと思っています。若い方も、いったん元の職場に戻っても、規制庁がいいと言って戻ってくる人もずいぶんいます。意外と、中では自由にものが言えますから。

黒川:それは、スタッフの人たちにとっても元気の出る話だね。

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