黒川:2005年ごろ、小泉純一郎政権の時代に、これからのエネルギー政策について話し合う会議に出ていました。そのときに、原子力の専門家が2100年には50%くらいが原子力になるのが適切だという話をしたんです。ちょうど2005年はアインシュタインが特殊相対性理論を発表してから100年を記念した世界物理年でした。
このアインシュタインから40年経って広島に原爆が投下されて、その後原子力はエネルギーになりました。さらに100年後の2100年に原子力が50%だなんて、なんでそんなことが言えるのか、とわたしは質問したんです。今は基礎研究を重ねていくことが大事なんではないか、と。
田中:原子力の人たちは、1000年先のエネルギーの確保、資源の確保と言うけれど、1000年後、100年後なんて見通せるはずがありません。人類史をみても、科学史をみても、そういうのは不遜だと思います。10年先、100年先を展望はするけれども、いまをきちっとやっていくことが大事なんではないかとよく言っていました。だから、原子力の世界ではわたしは変わり者でした。よく、原子力ムラの人間だって言われますが、むしろ村八分にされた村人のようなものです。
黒川:学者さんたちの世界まで忖度(そんたく)ではたまらないね。どの世界でも、本流にいると思われていた人よりも、そうでない人が最終的にはいい仕事をすることが多い。思いがけない発見、イノベーションとはそういうところから生まれるものだと思います。
日本のアウトプットはガタ落ち
田中:いまは、日本の基礎研究が非常に弱っています。
黒川:日本のアウトプットはガタ落ちです。これまでの日本は、上から言われたことをやっていればよかった。日本の大学は、教授が師匠になる家元制度に似ています。東大は歌舞伎、京大は狂言をやっているようなものです。上から言われたことをやっている人たちばかりだから、新しい分野の研究者がぜんぜん出てきません。最近、日本人はなぜそうなのかを考えています。
田中:わたしは原研(日本原子力研究所)にいて、最後やった仕事でいちばん大きかったのは、高エネ研(高エネルギー加速器研究機構)と原研が一緒になって、J-PARC(注:大強度陽子加速器施設。世界最高レベルの強さの陽子ビームを標的に当てて発生させた、さまざまな二次粒子のビームを使って研究をする施設。素粒子・原子物理学、物質・生命科学など幅広い分野の先端研究が行われている。2008年に第1期施設が完成した。茨城県東海村にある)を造ったことでした。中性子、ミューオン、ニュートリノといったものが利用できる施設です。日本でこういう施設を造ると、いつもアメリカよりもカネがかかるんですが、アメリカよりも安く造ることができました。
矢内原原則(注:東大総長を務めた経済学者の矢内原忠雄が1955年、「大学は、政府による原子力の研究とは一線を画す」とする原則を打ち出した)で、物理と原子力の協力関係は切れていたんですが、物理は、筑波の高エネ研が中核機関、原子力は原研が中核機関でしたが、一緒にJ-PARCという大きな共同プロジェクトを実施できました。
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