日大と関学、一体どこで明暗が分かれたのか 「危機管理」への備えと対応の差が目立った
肝心なのは、問題が生じた時の対応だ。その後の対策によって、失った信用回復までの時間が全く変わってくる。対応が早ければ早いほど傷は浅くてすむ。対応が遅れれば遅れるほど、傷は拡大、悪化し、最悪の場合は致命傷となってしまう。だからこそ危機管理広報にたずさわる者は、問題発生時の初動の早さを重要視している。
私たち危機管理広報の仕事で、初動というのは発生した問題に対する関係者やメディアの動揺や騒ぎの沈静化である。ケガで言えば応急処置の止血のようなものだ。騒ぎを収めたら、次は問題の根本的解決に入る。いわば傷の治療である。そのために問題が発生した経緯や原因を正しく調査し把握する。原因がわかったら再発しないよう、再発防止策を考えて実行するよう関係者全員に徹底する。
おおよそ、以上のような流れで筆者はアドバイスをしている。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」でいいのか
それでも現場では、問題が起こった瞬間は、どうしたらいいのか分からずうろたえる。筆者の経験から言えば、最初はアドバイスどおりに動いてくれるが、ひとたび問題が沈静化したとたん気が抜けて気が緩むケースが多い。
突発のアクデントの場合、長く緊張感が続くので仕方ないことなのだが、「これから原因を追及して、同じ事を2度と起こさないよう再発防止策を考えましょう」という段階になると、緊張感はまったく無くなる。やはり「喉元過ぎれば熱さ忘れる」。人は楽なほうに行きたくなり緊張感を失せさせたくなるのかもしれない。
大学は少子化で生徒が集まらないと嘆きつつ、攻めのブランディング作りや広告宣伝には必死になっても、守りの危機管理広報はまったく担当者がいないというケースも少なくはない。一昔前の広報なら、単に問い合わせの対応、広告宣伝、プロモーション活動など、仕事の内容も今ほど広くなく、宣伝やプロモーションという華やかなイメージが先行して人気職種だった。
しかし今はひとたび問題を起こすとSNSを通じた拡散も早く、心ない誹謗中傷が殺到する。メディアの種類も多くなり、広報にとって不祥事の記者会見場は修羅場となる。コンプライアンスも厳しくなり、ハラスメントや多様性、働き方改革など、新たに対応する場面が増加している。広報の仕事は華やかできれいなものだけではないのだ。
筆者は以前、私立大学の危機管理勉強会で、いろいろな事例を出して大学における危機管理広報の必要性について話をしたことがある。参加者は「大変参考になった」と言っていたが、おそらく持ち帰って実践した大学はないだろうと思っている。なぜなら日本の大半の私立大学の広報は、予算も人員も無く、総務業務の一部としてやっていることもあり、ましてや経営トップがみずから旗を振って危機管理広報の構築にまで気が回らないであろうからだ。
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