すると彼の行動は、理では説明できなくなって、見る者の関心はいかなる感情がこのような言動をもたらしたのかに移る。
人間の感情は、本能行動の表れである。
能力の高低は別にして、広報部門に身を置けば、報道陣さらにその背後にある視聴者に、攻撃的敵対的な態度を見せることが得策でないことは理解できよう。にもかかわらずこのようなことが生じたのには、理では抑えきれない、強い本能的行動が作用した可能性がある。
人間の本能の中に、「組織防衛」を命じる強い衝動がある。組織防衛のため、あえてリスクをいとわない行動は、社会に多く見られる。
自分の属する小さな集団が大事
企業不祥事の中には、この組織防衛本能が作用した結果、発生するものが少なくない。私腹を肥やそうとしてではなく、自らの部署を守るために不正を働いたという例は、近時にも数多く見られる。事が違法や虚偽であれば、結果的に組織にも有害であり、非合理な行動といえるが、その動機は組織防衛本能にある。
本能行動の多くは、大抵の場合には適合的であるが、ときに不適切な発動がなされるという性質を持つ。組織防衛行動は、現代にいたって不適合が目立つ。海外には、わが国に比べその発動の少ない文化もあるので、今後こうしたものは減少してゆく可能性もある。本能そのものは変えられないが、それに基づく行動は人間の場合、一定の柔軟性を有している。
組織防衛本能は、個体の利益を超えて行われるので、個体の適者生存から発生するのではなく、その出自に別な要因がある。人間の場合、集団を作り、協調して暮らす文化が強固である。集団間に争いが起きる構造も有しているので、淘汰圧が集団に対して作用することがある。チンパンジーと同様に人間は同族と「戦争」をする本能も存在している(余談であるが、同じ類人猿でもゴリラやオランウータンの社会はより個人主義的で、喧嘩はあっても戦争は起きない)。
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