人と寝具の意外と知られていない長く深い縁 蘊蓄100章で綴るその役割と歴史

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21. 紀元前27年、ローマ帝国時代に入るとベッドルームの前身ともいうべきキュビキュルムが作られ始める

22. 壁面の一部のくぼみにベッドを置く形式も生まれるが、ベッドの形態はエジプト期のものを踏襲していた

23. 一方、日本では和歌山県の西田井遺跡の弥生~古墳時代の竪穴式住居からベッドの木幹跡が発見されている

24. このことから古代の日本人は丸太などを利用し、現代のベッドに似た寝具で寝ていたことが推測されている

25. 奈良時代に入ると、中国からベッドが伝来した。日本に現存する最古のベッドは聖武天皇が使用したもの

26. これは756年に光明皇后が奈良・東大寺正倉院に献納した「御床(ごしょう)」と呼ばれる寝台でひのき製

27. サイズは長さ237.5cm、幅118.5cm、高さ38.5cmあり、装飾はなくシンプルだが純白だったとも推測される

28. 外枠の中は8本の部材をスノコ状に組み合わせた丈夫な造りで、天皇とともに皇后用のベッドもあった

29. 当時ベッドを覆っていたと思われる布の形状から、2台のベッドを並べて使用されていたと考えられている

庶民の寝具は?

30. これらは天皇や皇后など特別な上流生活者のものであり、農民たちは粗末な家で藁にもぐって眠っていた

むしろ(写真:topic_bv / PIXTA)

31. 庶民の寝具は中世に至るまで、萱(かや)や藁(わら)、稲、蒲(がま)で編んだ「むしろ」が一般的だった

32. 正倉院には日本最古の畳となる聖武天皇が使用した「御床畳(ごしょうたたみ)」も保管されている

33. 奈良時代に入ると畳の文化が誕生したが、聖武天皇はこの畳を御床の上に置いて使用していたと思われる

34. 御床畳は現在の畳と同様に、真菰(まこも)をあてたむしろのようなものを5~6枚重ねて床としていた

35. その表には、い草の菰をかぶせ、錦の縁もついていたが、現在の畳のような厚さはなく質素なものだった

36. 『古事記』『日本書紀』では何枚もむしろを重ねた畳のことを「八重畳(やえだたみ)」と呼んでいる

37. 平安時代に入ると、畳が現在の敷布団の役目を果たすようになっていく

38. 一方、掛布団の役割をするのは「ふすま」と呼ばれる長方形の布や自身の着物でそれを体にかけて就寝した

39. 799~800年頃、褐色の肌をした崑崙人(こんろんじん)という若者が三河国(現・愛知県)に漂着する

40. その様子は『日本後記』にも記されているが、彼は木綿の種子を持っており、日本に初めて綿が伝わった

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