41. 崑崙人は寺に居住して綿花の栽培を伝え、勅令によって紀伊、伊予、土佐、讃岐、大宰府にも広められた
42. しかし綿の栽培は容易ではなく衰退。三河国での再栽培が軌道に乗ったのは1492~1500年のことといわれる
43. 16世紀初頭になると三河の木綿は奈良の市場で販売され、1558~69年には京都にも持ち込まれる
44. 戦国時代に木綿の安定した栽培に成功すると日本各地に拡散していく
45. 当時、木綿は衣類用よりも武具や陣幕、旗指物といった軍需品や火縄銃の火縄の材料として重宝された
46. 綿が普及し始めたことで、江戸時代に入ると現在の布団に近いものをかけて眠る習慣が生まれる
47. それが「夜着(よぎ)」と呼ばれる掛布団の一種で、綿が入った着物のような形状をしていた
48. これは「搔い巻き布団」とも呼ばれるが、特長は肩が覆われているために保温性が高いこと
49. その原型となったのは、鎌倉時代に武士が着ていた「湯帷子(ゆかたびら)」といわれている
50. 絹に友禅染を施した上質な夜着もあったが、一般的には麻などに藍染めをしたものが多かった
遊郭を中心に「綿布団」が使用され始める
51. 1688年頃、元禄年間になると遊郭を中心に「綿布団」が使用され始めるようになる
52. 当時の綿布団は1枚30両以上もする超高級品で、一般庶民には手の届かないものだった
53. それゆえ江戸の庶民たちは、綿の布団の代わりに和紙を素材とした「天徳寺」と呼ばれる紙布団を使用した
54. 幕末になると、衿や袖のつかない長方形の夜着が作られるようになっていく
55. 四隅に額縁のような縁をつけたデザインで、現在、我々が使用する布団とほぼ同じ形である
56. このころから上掛けを「掛布団」や「大布団」、床に敷くものを「敷布団」と呼ぶようになっていく
57. のちに敷布団のほうには縁をつけなくなっていくが、掛布団の形状は現在もそのまま続いている
58. 明治時代に入ると、安価な外国綿が流入したことで、綿布団は徐々に庶民の手に届くものになっていった
59. その一方で、吸湿性の高い綿布団で眠るようになったことで万年床ではカビの発生に悩まされることになる
60. そこでカビ対策として、明治後期になって誕生したのが布団を収納する「押し入れ」だ
無料会員登録はこちら
ログインはこちら