人生100年は「身体が不自由」だと不幸なのか 目が見えなくても「ヤラシイDVD」買う生き方
「自分も“体悪くした先輩”かもしれないが、目が悪くってもスカイダイビングをやったり、スキューバダイビングをやったり、意外と楽しんで生きている。結局、体を悪くしたら終わりと思うかもしれないが、そんなことはない。海老原さんや僕がいろんな楽しみを伝えていったら、みんな安心して100歳まで生きたいって思うようになるんじゃないか。海老原さん、一緒に長生きして発信していきましょう!」
そこで、“ほぼ全盲”の漫談家・濱田祐太郎氏が「たしかに、将来、目が見えるようになるかもしれないから、今からイヤラシイDVDを買い込んでおこう」と笑わせてくれ、談義は終了となった。
“当たり前”とは何か?
「B面談義」を制作していて毎回驚かされるのは、一つの話題に対しての見方がこれほど多様にあり得たのか、ということだ。そしてマジョリティ(多数派)の当たり前は、いかに当たり前でないのか。いわゆるマジョリティが当たり前だとしてきた世界の狭さに気づかせてくれるのだ。
今回ほど、個人的にそう思わされたことはなかった。なぜなら、人生100年時代とはいえ「体が元気なうちに死にたい」、私もそう思っていた一人だったからだ。
「どんなに体が衰えようと、自分が自分であることに変わりはない。不自由さを解消する手段さえ用意すれば、人生はハッピーなのかもしれない」。そして「人生で自分が希望しないことが起きたとき、その出来事をポジティブにとらえることさえできれば、何が起きても怖くないのかもしれない」
今回、このことを教えてくれたのは、今年41歳になる私とたまたま同じ年のコメンテーター2人だった。あと60年続くかもしれない人生を前に、凝り固まっていた考えをぶち壊してくれた大先輩に感謝しかない。
次回の「B面談義」の放送に向け、準備を始めている。濃すぎるコメンテーターからどんなエッジの効いた意見が飛び出すのか? あなたの知らない奥深い談義の世界にウェルカ~ム!
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