看護師を辞めた後は、看護師の資格が必要とされる健康相談のコールセンターや介護施設を転々とした。そして、24歳の頃「とにかく過干渉な毒親から離れたい一心で、現金3万円を握りしめてキャリーケース1つで上京した」と語る。母親のスナックの手伝いにより、水商売のノウハウは身に付けていたので、上京後はとりあえずキャバクラで働いた。しかし、キャバクラこそ女の世界で、お客さんとのコミュニケーションを必要とする職だ。きちんと務まったのだろうか。
「やっぱりしんどいときはあります。たとえば、若めのお客さんだとノリで『イェーイ!』って感じなのでついていけなくて。私、中身のある会話しかできないんです。『●●に行ってきたんだけど、あそこって何があるよね、そういえばそれに関する歴史的な何かが……』というふうに。だから、そういう話が好きでないお客さんとはどう話したらいいのかわからない。また、女の世界ではありますが、それはほかの(キャバクラ)嬢と一緒に卓についているときのみ、仲が良さそうに話せばいいだけ。待機に戻ると一気に他人に戻って会話はないので、その点は楽です」(大塚さん)
生活保護を切るために、医師には禁じられているが働く
実は今も、医者から働くのを禁じられてはいるが経済的に苦しいので、体調の良い日だけキャバクラで働いている。出勤日数は体調によりけりで、うつの状態が悪いときは週ゼロ、ある程度いいときは週4出ることもある。中身のある会話を好む大塚さんにとって接客が得意な年齢層は40代後半以上のおじさま世代だ。お店の人には「年配の人への接客のほうが得意です」と伝え、なるべく年配のお客さんの卓につかせてもらっている。時には70代のお客さんを接客することもある。
当然だが、収入があると生活保護の受給額が少なくなったり打ち切られたりする。しかし、大塚さんは早く生活保護を打ち切りたくて働いている。今のいちばんの目標は生活保護を切ることだ。そして、今まで進路をすべて母親に決められてきたので、美大に行きたいとも語る。
「絵を描くのが好きなのですが習ったことはないので、ちゃんと勉強してみたいんです。自分の特性を存分に爆発させてもいい場所が欲しいです。でも、やりたいことが毎日、最低3つは思い浮かぶんです。たとえば今日は押し花をやりたい気分。こうやっていろんなものに興味が湧くADHDの特性に、今の自分のうつ病の身体が追いついていないのがいちばん嫌だなと感じているところです」(大塚さん)
今までも作品を描いたことがあるというので見せてもらおうと思ったら、残念ながら現在使っているスマホにデータが保存されていなかった。取材後、「パソコンにデータがあったので」と作品が送られてきた。矢沢あいの漫画を彷彿させるようなかわいらしいイラストとレインボーカラーのリボン。大塚さん自身LGBT当事者であるため、以前LGBTの啓発活動にかかわったときの作品だという。地元だと、LGBTに偏見がある人も多く、生きづらさを感じたこともあったというが、都内では地元よりも理解があるのがうれしいと大塚さん。
大塚さんは本来なら働ける体ではないのに働いている。まずは体調を最優先に、今まで抑圧されてきた分を取り戻すよう、自分らしく生きてほしい。
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