一方、父親の特性としては大塚さんに似ていた。大塚さんは日常のささいな疑問の答えをいつも知りたかった。この特性は、本連載の第2回目「28歳、顔出しで発達障害語るブロガーの真実」で紹介したサトエリさんが、幼い頃いろんな疑問を抱いて親に質問しては答えてもらえずモヤモヤしていたのと似ているかもしれない。
ところが、大塚さんの父親は彼女がたとえば「なぜ空は青いの?」と、普通の人ならすぐに答えられないような質問をしても、きちんと説明して答えてくれた。だから、大人は疑問に感じたことを教えてくれるものだと思っていた。そんな最大の理解者であった父親を中1のときがんで亡くしてしまう。
「そこから先は母子家庭となり荒れ放題。母親はADHDぎみなので片付けができなくて家の中はぐちゃぐちゃ。それにアルコール依存症も加わってしまいました。そして私は中1のとき、うつを発症してしまいました。また、母親はスナックを経営していたので、法的に違反しているのに、16歳の頃から私も店に立たされ、お酒も飲みたくないのに18歳のときから飲まされました」(大塚さん)
看護師になるもののマルチタスクが苦手
高校卒業後は母の指示により、自分が興味のある学部ではなく看護師になるための大学に行かされてしまった。そして、大学でいじめを受ける。大学の子たちはみんなで一緒に勉強をするのを好む学生ばかりだった。しかし、大塚さんは1人で勉強をしたくて断っていると「付き合いの悪いヤツ」と言われてしまった。
また、学生生活最後の1年は特に勉強に集中したく、遊びにも行かなかった。国家試験対策のため、都内の予備校にも通っていたので、遊ぶおカネがあれば予備校の受講料に回したかった。夏に「みんなで野外フェスに行こう」と誘われた際も、「ごめん、予備校の受講料を払ったばかりでおカネがなくて行けない」と断ったら、白い目で見られた。大学卒業後は地元で看護師になったが、向いていなくて1カ月で辞めた。
「看護師はマルチタスクだし、女の社会だしで、実習のときから合わないとは感じていました。もともと小学生の頃から女子グループが苦手でしたし。同じ実習に入った子から『患者さんのこの病気について調べてきたよ』と言われたので、『えっ、なんで調べてきたの?』と聞いたら、『だって担当の看護師さんが調べてって言ってたじゃん』と言われたのですが、『調べて』とは言われていないんです。おそらく『あの患者さんはこういう病気だから、まあ調べておいたほうがいいかもね〜』みたいな言い方だったと思います。でもそのとき、私は話の主語から外れていたし、そこに着目できなかった。そういうことがたくさん積み重なっていきました」(大塚さん)
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