「東大女子」が自ら選択肢を狭めてしまう理由

偏差値至上がつくりだす学歴上昇婚思想

確かに東大は、資金的にも人材的にも国内で最も恵まれた大学かもしれない。その恵まれた環境を求めて東大に行きたいと思う高校生が多いことは理解できる。しかし、偏差値がいちばん高いから東大に行くというのはいかがなものか。そのような考え方は「みんながいいと言うものを自分もほしい」という考え方でしかない。その姿勢のままではつねに世間の評価に振り回される人生を送ることになりかねない。

逆に「国際的な大学ランキングで東大の順位が落ちているからもう東大に行っても意味がない」という批判も意味がない。あの手のランキングは、組織としての大学の機能を評価するものであって、その大学に通う価値を評価しているのではない。どんな大学に行っても、そこで精いっぱい学べば、得られるものにさしたる差があるとは思えない。

ましてや「東大生同士でないと話が通じない」というのはまるで幻想だ。東大受験対策を専門にするある塾の関係者は「東大の合格ラインにはたくさんの受験生がひしめいています。毎年の東大合格者の中でも、下位半分は不合格でもおかしくなかった人たち」と証言する。もう一度試験を行ったら半分は入れ替わるというのだ。

偏差値で人の能力を推し量ることはナンセンス

惜しくも不合格になった人たちは、東京であれば早稲田、慶應あたりに通うことになる。彼らと東大生の間に学力的に明確な差があるはずもない。ましてや大学受験で試される学力が総合的な知性や人間力のごく一部でしかないことはいうまでもない。偏差値の高さで人の能力を推し量ることは、ベンチプレスの値でアスリートの能力を推し量るくらいにナンセンスなことだ。

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偏差値が5や10違ったからといって話が通じないというのなら、問題なのは相手の偏差値ではなくて、本人のコミュニケーション能力だろう。実際には話が通じないのではなくて、話が通じないと思い込んでいるケースが圧倒的に多いのだと思われる。

しかし多くの人にそう思い込ませるほどに、偏差値が過度な意味をもつのがこの社会なのである。

社会全体を覆う偏差値の差に対する過敏症が解消されれば、東大女子の結婚相手の選択肢も増えるだろう。東大女子自身が自分より偏差値が低い男性との結婚に抵抗を感じなくなるという意味と、男性が自分より偏差値の高い女性との結婚に抵抗を感じなくなるという意味の両面で。

同様に世の中全体として、学歴上昇婚/下降婚という概念が薄れれば、男女ともに未婚率は下がるだろうし、世帯収入格差は縮まるだろうし、それによって少子化も改善の方向に向かうかもしれない。

その点、現在議論されている大学入試改革には、もともと大学入試を変えることで高校以下の教育を偏差値主義から解放しようという目的がある。それが、少子化対策にもなるかもしれないのだ。

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