日雇い労働者が、賃金は高いが人柄の悪い親方の職場と、賃金は低いが人柄のいい親方の職場と、そのどちらを選ぶかという実験が、70年ほど前に行われた。7割の人たちが、賃金が低くても人柄のいい親方の職場を選んだという結果が出ている。要は、必ずしも、賃金の高低で職場を選ぶのではないということ。賃金の高低ではなく、「この人のためなら」「この親方の下でなら」という気分にさせるところを選ぶということである。
松下幸之助も「情」の経営者だった
小説家の童門冬二氏が最近、ある雑誌に立花道雪のことを書いている。道雪は、大友宗麟の重臣で、豊後(大分)の戦国大名。35歳の時、雷に打たれて歩行困難になったが、自軍を率いて連戦連勝、大いにその武勇を後世まで残している。どうして歩行不自由な道雪を家臣たちが慕い、ついていったのか。実は、その道雪、勇猛だけではなかった。戦術が確かであっただけではない。それ以上に、「情」があったからだ。
家臣に対しても温かい声をかけている。いわば、「情」で、家臣を圧倒したと言えよう。武勲のない者に対しても「運不運は戦場の常。お前が強者(つわもの)であることは、私が一番よく知っている。だから、明日の戦いで、汚名返上、手柄を立てようなどと抜け駆けし、討ち死にするようなことをしてはいけない。それよりも、命をながらえ、大事にして、この道雪を守り続けよ」と親しく話しかけ、家臣は感涙したという。その家臣は、おそらくそのとき「この道雪様のためならば……」と思ったことだろう。
また、道雪は、「人材に出来の悪い者はない。もし出来が悪い者がいるとすれば、それは、育てることが出来なかった大将の責任。私の家臣で出来の悪い者はいない。もし、他家で、出来が悪いと謗(そし)られる者がおれば、私のところに来い。第一級の人材に育て上げて見せよう」と、出来が悪いのは、上に立つ者の責任とも言っていたという。
立花道雪は、このような家臣に対する「情」を持っていた。「この人のためならば……」と思わせる「情」を持っていた。それゆえに、大友軍最強の軍団をつくり上げることができたのである。
かく言う私も、松下幸之助の「情」に心打たれたことが何度もあった。その1つ。ハーマン・カーンのエピソードについては、かなり多くの人が知っているところだろう。詳細については、拙著(『松下幸之助はなぜ成功したのか』東洋経済新報社刊)に譲ろうと思う。
「理3情7」の原則は、これからの社長は、もっともっと重要になってくるだろう。「社長のためなら……」と思わしめる「情」、社員や部下を圧倒する「人間的魅力」、「徳」をいかに積むか、「オーラを感じさせる人柄」を、いかに身につけるか。それが「これからの社長」の最高最終的条件になるであろうことは間違いない。
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