社長こそ「命を賭して経営する」覚悟を持て 「社員が命を落とす」のは経営者の恥

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組織というもの、会社というものは、そういうものだ。1万人の社員を擁する会社で、誰一人、命がけの人間が存在せず、なおかつ会社が発展するというのはありえない。また、100人、20人の会社でも同じこと。誰一人命がけの人がいなくして、どうして会社は、組織は発展することができるのか。経営はそれほど簡単なものではない。

社長は心を許して遊ぶべからず

山本常朝の『葉隠』の冒頭はあまりにも有名である。

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「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」。この言葉が戦前の軍国主義の時代に喧伝膾炙(かいしゃ)された。だから、『葉隠』は、武士は死ね、武士は死ぬことを本望とすべきだなどと誤解され、かつ今も、そのように思っている人がいる。しかし、その次からの文章を読めば、そういうことではないということが、すぐ分かる。

続けて「二つ二つの場にて、早く死ぬほうに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。図にあたらぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上がりたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当たることの分かることは、及ばざることなり。我人(われひと)、生くるほうが好きなり。多分好きな方に理が付くべし。もし図に外れて生きたならば、腰抜けなり。この境、危うきなり。図に外れて死にたれば、犬死気違いなり。恥にはならず。毎朝毎夕、改めては死に、改めては死に、常住死に身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度(おちど)なく、家職を仕果たすべきなり」とある。

要は、人間、「簡単」と「困難」とを前にすると、すぐ「簡単」なほうを選ぶが、武士たる者は、あえてそういう場合「困難」を選ぶ。そのような覚悟ができていると武士道が自分のものとなり、自由闊達にして、一生誤りなく過ごすことができるということを言っている。

同じことである。社長は、社長たる立場にあるかぎり、すべてを犠牲にして、命を賭して、命がけで経営にあたるべきであろう。松下幸之助さんがそうだった。偉大な戦後の経営者がそうであった。歴史をさかのぼって、江戸時代中期、松代藩の財政を立て直した恩田木工(もく)もそうであった。幕末、明治維新の勝海舟もそうであった。

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