「らくらく連絡網」は他のSNSと何が違うのか イオレの吉田直人社長にロングインタビュー
小林:現在、御社は大学生に短期アルバイトを紹介する「ガクバアルバイト」や「らくらくアルバイト」といったサービスを展開していますが、ここで始めた人材派遣ビジネスがその前身となったわけですか?
吉田: いえ、現在の弊社のサービスとは全く別の話です。人材派遣会社の収益は上がっていたものの、「自分の本当にやりたいことは何なのか?」を自問自答していました。
小林:当時、答えはみつかりましたか?
吉田:自問自答の末、「ゲームだ!」という結論に達しました。私はメディアやイベントなどのいわゆるメインストリームを好む一方で、当時は今ほど老若男女問わず一般の方々から受け入れられてはいなかったゲームも大好きだったんです。高校時代にSF小説を300冊ぐらい貪り読んだ影響もあったと思います。
ちょうどパソコン通信が流行り始めた頃で、PCを電話回線で結ぶことで第5のメディアになるという話もピンときました。だから、これまでゲームを作ったことなんてまったくなかったにも関わらず、ゲーム制作会社を設立してしまったわけです。
小林:それはまたすごい思い切りですね(笑)。しかし、ゲームを作るためにはプログラマーが必要ですよね?
吉田: ええ。ですから、求人情報誌に何度か広告を出したのですが、まったく応募がありませんでした。6回目にようやく、ある有名ゲームメーカーの人気作品の制作に関わったという人材が見つかりました。そして、彼を中心にPC向けのゲームを開発していったわけです。
小林:ヒット作は生まれましたか?
吉田:いいえ。その時は「これだ!」という作品は生まれませんでした。そんな最中、マルチメディア時代というものがやってきたのです。今では当然のことですが、当時はPCで写真を見るという行為は当たり前ではありませんでした。写真を見られるようになった点を生かし、CD-ROMの写真集を作りました。今で言えばPhotoshopの簡易版のようなもので、自分だけのオリジナル写真集を編集できるというものです。
通常の写真集と違って出版卸を通さず、パソコンソフトの流通と同じルートで販売できたうえ、まだ競合もおらず、当時の一般的なパソコンソフトの値段で設定したところ、大いに収益が上がりました。そして、その利益を投入してアニメシーンをふんだんに盛り込んだゲームを開発しました。自社でアニメスタジオを作り、ゲームで使用する音楽についても自社でレコードレーベルを立ち上げて制作するほど、とことんこだわったところ、注目されるようになり、「マルチメディアの星」などと持てはやされるようになったのです。
銀行による貸しはがし、まさかの転落が待ち受けていた
小林:大きな転機が訪れたということですね。
吉田:しかし、その先に想像もつかない展開が待っていました。その直後、32歳のときに私は咽頭ガンを患ってしまったのです。放射線治療で3カ月後には復帰したものの、もはや自分の寿命は長くないと思いました。そこで、銀行から20数億円を融資で調達し、それを注ぎ込んで日本を代表する超大作を世に生み出して、クリエイターとして華々しく散っていこうと覚悟を決めました。