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イオレの吉田直人社長にロングインタビュー

小林:えっ、そんなことがあったのですか……。それで、その作品はどうなったんですか?

吉田:1997年4月にリリースした『QUOVADIS2』という作品がそれです。ゲーム自体はヒットしたのですが、とんでもないことになってしまいました。

小林:またしても、まったく想像もつかないことが起こったのですか?

吉田:1997年11月、北海道拓殖銀行と山一證券が破綻して金融危機が深刻化したのはご存じのことかと思いますが、その前から銀行の間では貸し渋りが横行していました。

小林:多くの金融機関がバブル時代に背負い込んだ不良債権の処理に苦しんでいた頃ですね。

吉田:貸し渋りはさらにエスカレートして貸しはがしになり、私の会社も先頭を切ってその対象となってしまったのです。10数行から数億ずつ合計20数億円を借りていたのですが、4月に返済を迫られ、5月に定期預金、6月に普通預金が凍結されて、7月には事実上の倒産に追い込まれました。

まさしく“あっという間”で、何が起きているのかわからないうちに会社が潰れてしまいました。私自身も私財を処分して従業員の最後の給与を工面したうえで、多くの人たちに迷惑をかけてしまうかたちで自己破産に追い込まれてしまいました。

マッサージ店、iモードコンテンツの成功後

小林:銀行からの貸しはがしで一度は自己破産なさった吉田社長ですが、その後にサイバービズ(現ザッパラス)を創業されていますね。

吉田:会社があっという間に倒産に追い込まれた後、マインドも完全にやられ、しばらくは茫然自失の日々でした。ただ、時間に追われない生活になって、友人は増えましたね。経営者時代はとにかく仕事に没頭しており、人付き合いにはまったく興味のない人間でしたから。とにかく、そうやって過ごしているうちに、私の中で1つのアイディアが生まれました。

銀行に返済を催促されていた頃、 憔悴しきっていた私はマッサージに癒やしを求めていました。その時にふと思い出したのは、スキューバダイビングの資格を取得するために出かけたプーケットで施術してもらったタイ古式マッサージのことです。当時はまだ日本に上陸していなかったので、1998年に六本木で「チャイ」という本邦初のタイ古式マッサージ店をオープンしてみました。すると、雑誌やテレビが取材に訪れ、4カ月後まで予約でいっぱいの大盛況となったのです。この成功で、私はいくらか自信を取り戻すことができました。

小林:またまた、今まで取り組んできたビジネスとはまったく畑違いのジャンルですね。

吉田:そうですね。しかし、これまで自分が手掛けてきたビジネスの仕組みとは異なっていたため、さらなる拡大は難しいと考えていました。そして、できればもう一度メディアの世界に戻りたいと思っていたところ、ファミリービズという会社を立ち上げていた友人から「いっしょに仕事をしないか?」と誘われ、友人が会長、私が社長という位置づけでサイバービズを設立・経営することになったわけです。

小林:サイバービズのビジネスは、NTTドコモのiモード向けにコンテンツを提供するというものでしたね。

吉田:そうです。ちょうどiモードがヒットし始めた頃で、マーケットが拡大する中でコンテンツが不足していたことから、サイバービズもいきなり初年度から莫大な売り上げを獲得し、まさにロケットスタートを切ることができました。サイバービズでの経験も、私の自信の回復に大変大きな影響を与えました。そこで改めて、自分のビジネス人生を見つめ直しました。

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カーリング人気萌芽の時代から、平昌五輪での銅メダル獲得まで戦い抜いてきた著者。リーダーとして代表チームを率いつつ、人生の一部としてカーリングを楽しめるにまで至った軌跡や、ママさんカーラーとして子育てで得た学びなどを語る。