何とか娘を説得し、保護司としての活動を始めた中澤さん。受け持つ対象者の70%は未成年だという。犯罪歴は傷害、窃盗、薬物乱用などさまざまだ。
初めて担当した少年のことを、中澤さんはよく覚えている。その彼は当時17歳の暴走族で、とにかく両親を嫌っており、まったく言うことを聞かなかった。保護司には事前に、対象者の犯罪歴や生い立ち、家族構成、家庭環境など詳細に書かれた資料が渡される。最初の面談は少年の家で、両親同席のもと行うことになった。中澤さんがまずしたのは、書類の内容を丸暗記することだった。
「だって、書類を見ながら話すと、向こうが緊張するでしょう。ここに僕のことが全部書いてあるんだ、って。私だったら嫌ですね。そうならないよう、書類の内容を全部覚えたんです。順番に言葉にするのではなく、頭の中でミキサーにかけて、滑らかに話せるように」
緊張しているのは両親も同じはずだと中澤さんは感じていた。少年が逮捕されてから、ホウムショウ、サイバンショ、ホゴカンサツなど聞きなれない言葉が飛び交うようになったはず。そこへ堅苦しい雰囲気の保護司が来て、事務的に話をしたら、委縮するだろうと思ったのだ。
「最初に垣根を取っ払おうと思って、『何かあればいつでも行きますし、うちに来てもらってもいい。気軽に電話してくださいね』と言ったんです。最初から肩に力を入れて、『一緒に更生しようね!』『まっとうな道に行かせるからね!』って熱くなると、煙たがられちゃいますから」
保護司は未知の生物ではなく、どこにでもいる気さくなおばさん。自分の敵ではなく、寄り添ってくれる味方。中澤さんの姿勢を見て、少年も両親もそう感じたようだった。それから少年・両親それぞれと面談をするようになり、少しずつ本音が語られていった。
少年が両親を嫌っていた理由
少年はなぜ両親を嫌っていたか。実は、彼が小学校2年の頃、一家は中国から日本に引っ越して来たのだった。父親は日本語がしゃべれず、母親がつくる料理は餃子ばかり。少年は本当は日本食が好きなのに、冷蔵庫を開けるとストックされた数百個の餃子があり、見るたびに苛立っていたという。それを聞いた中澤さんは、なんと母親を自宅に招いて料理を教えることにした。
息子の好物は、鶏肉のソテー、アジの干物、ホウレン草のお浸し。息子が面と向かって言えなかった本音を母親に伝えながら、料理を教えていった。
一方で息子と面談した際は、「お母さんはあなたのために一生懸命料理の勉強しているよ。可愛くて仕方ないのに、心を寄せてくれないって泣いてたよ」と、母の気持ちを伝えた。親子の関係性は、目に見えて改善していった。
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