そして、保護観察の最終日。最後の面談を終え、少年の家を出ようとする中澤さんに、彼は丁寧に礼を伝え、「バイクで送りましょうか?」と言った。暴走族にとってバイクは宝物。ピカピカに磨かれた400ccのそのバイクは、誰にも触らせたことがないという。少し考えて、中澤さんは迷わずバイクの後部座席にまたがった。
「保護司が暴走族のバイクに乗って、もし事故に遭ったら……って思ったけど、ここで断らないのが見せ所かなと。真冬の寒いときに、風を切って走ったんです。私を乗せてくれた彼の気持ちが伝わってきて、言葉じゃ言い表せないほど幸せな気持ちでした」
その後も交流は続き、中澤さんが「美味しい!」と言ったことから、母親は手作りの餃子を家に届けてくれた。少年も更生して社会に出て、結婚して子どももでき、幸せに暮らしているという。
中学生の頃から暴れん坊だったある少年は…
中澤さんが保護司を始めた1998年、暴走族の数は2万5000人以上(「平成29年版 犯罪白書」より)。現在の約5倍と、比べ物にならない規模だった。中澤さんの地域にも暴走族は多く、更生させたケースは数えきれない。
ある少年は、中学生の頃から暴れん坊だった。駅前のロータリーに友人たちとたむろし、同級生にプロレス技をかけている様子を、中澤さんはたびたび見かけていたという。彼は高校に進学するも、結局退学。暴走族に入り、中澤さんが担当することになった。いつものやり方で距離を縮め、本音で話してくれる信頼関係ができた後、こんなやり取りがあったという。
「その子はケンカが好きで、運動神経もいいから『そのエネルギーを生かす方法はないかね』って話したんです。そうしたら、『将来プロレスラーになりたい』と言うので、やればいいじゃんと。両親が元気で働いてくれているうちに、やるだけやってみなよって」
すっかりその気になった少年は、早速プロレス道場に入門。どこまで続くのか、半信半疑だった中澤さんの予想を裏切り、彼は海外修行にも行くなど、本格的にプロレスにのめりこんでいった。そしてついに、プロレスラーとしてデビューしたのだった。デビュー戦に、暴走族仲間たちと応援に駆け付けた中澤さんが、「行けー!」と声を張り上げたのは言うまでもない。
最初は大人を警戒し、敵視すらしていることが多い不良少年たち。彼らと心を通わせるために、中澤さんはどのようなことを意識しているのか。まずは、頼られたらどんな状況でもないがしろにせず、受け入れることだという。
「対象者から電話があったら、どんなに忙しくてもまずは話を聞きます。そうして受け入れて、安心感を与えてから、『いつなら相談に乗れるよ』と。『今は忙しいから』って電話を切るようなことは絶対にしません」
相談したいと連絡を受けたとき、時間さえあれば、食事中でも箸を置いて駆け付けるという中澤さん。彼らは切羽詰まっているから電話をかけてきているはず。そのときに支えてあげないと、悩みや苦しみがさらに広がってしまうからだ。
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