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120人の不良を更生させた「中澤さん」の流儀 「下町のすごい保護司」と「更生カレー」

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  • 肥沼 和之 フリーライター・ジャーナリスト
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保護司はボランティアのため、給料や報酬は出ない。面倒見がいいという性分はあるにせよ、労力や時間を注ぎ込んで、20年も保護司を続けている原動力は何なのだろう。尋ねると、中澤さんは目を細め、「人を喜ばせようと思って保護司をしているわけじゃないんです。けれど、自分のしたことが喜ばれると、私も一緒に嬉しくなっちゃうの。おまけがついちゃったみたいなね」と説明する。

保護司としての仕事は間もなく定年を迎える(写真:今井康一)

保護観察期間が終わった後、中澤さんと少年、その家族との関係が続くことは多い。冒頭で紹介した、温泉旅行に一緒に行った暴走族やプロレスラーをはじめ、何もなくてもカレーを食べに来たり、結婚式に来てほしいと誘われたり、子どもが生まれたから見に来てほしいと言われたり、何かあるたびに連絡が来るという。

「私のようなやり方していると、つながりは必要以上に濃くなるよね。当時はみんな悪ガキだったのに、大人になって会うと『中澤さん、面倒くさがらずにかかわってくれましたね』『俺なんかのために時間割いてくれてありがとうございました』と言ってくれたり。私のうわさを聞いた人から『息子を担当してください』って指名されたり。それがまた喜びだったりするんです」

中澤さんのような活動はそうそうまねできない。では、誰にも簡単にできる、ちょっとした社会活動はどんなことだろう。その問いに、中澤さんは「声がけです」と答える。

「エレベーターを降りるとき、ドアを押さえてくれた人に『そういう気づかいがさっとできるのは素晴らしいわね』とか、髪形をばっちり決めてる人に『決まってるわね、美容院行ってきたの?』とかね。私は誰にでも言っちゃうの。すると、5分でも10分でも気分が良くなってくれるかもしれない。みんなが声掛けをすればもっと長くなるし、自分を気にかけてくれる人がいると思えば、地元で悪いことをしようなんて思わなくなるしね」

一般人がいきなり保護司になるのはハードルが高い。であれば、保護司ではなくて、“保護司みたいな人”が町にいっぱいいてくれたらいい、と中澤さん。ボランティアという肩書を掲げなくても、一人ひとりが声掛けするだけで大きな社会活動になります、と笑顔で訴えた。

75歳の定年後に描く新しい「夢」

ライフワークとして保護司の活動を続けている中澤さん。しかし今年、引退を迎える。保護司の定年である75歳になったからだ。これからはどうするのか聞くと、「すぐ近くで喫茶店をやろうと思っています」と即答する。実はもう物件の契約もし、内装工事も進めているという。

「保護司が終わった後、どうしたら自分の人生を使いきれるのかって考えたとき、居場所づくりをしたいなって思ったんです。喫茶店なら、子どもたちとかその親とか保護司仲間とか、みんながいつでも集まれるでしょ。私の居場所にもなるしね」

ねえ、お店の名前、どんなのがいいと思う? カレーライスは出したほうがいいかしら? 中澤さんは楽しそうに話す。20年間の保護司生活は、まもなく終わる。しかし、そこから生まれた“つながり”という宝物はなくならない。保護司、いや、中澤のおばさんは、これからもすべての人に心を開き、受け入れ、そして明るい方向へ導いていくのだろう。

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