「それを聞いたのは、いまから15年前、23歳のときです。父親が遺伝性の難病を発症し、私にも遺伝の可能性があるかもしれないと思って調べていたとき、母から『実は、父とは血がつながっていない』と知らされたのです。
最初は病気が遺伝していないことにホッとしたのですが、仲の良かった母親が、そんな重要なことで私にうそをついていたというのが何よりショックでした。たぶん父親の病気のことがなければ、一生言わずに済ませていたはずです」
養子や継子の立場の人からも、ときどき聞く話です。大人になってから突然「親だと思っていた人と、実は血縁関係がない」と知らされるのは、どんな思いか。経験がない筆者には、想像しきれないところがあります。
自分は「後ろめたい技術」で生まれた子なのか
親は一生隠し通すつもりだったのかもしれませんが、子どもは人から聞いたりして、大体どこかの時点で事実を知ることになります。隠し通すことは、現実問題かなり困難なのです。
幼少期から聞いていれば「そういうものか」と思い、事実を受け入れやすいのですが、ある程度の年齢になってから知った場合は親子の信頼関係が崩れ、子どもは大きなダメージを受けることが少なくありません。
石塚さんにとっても、それは大変つらいことでした。当時は大学院に通っていましたが、通学途中など一人になると涙が止まらず、「このとき、一生分の涙は使ったかも」と思うほど泣いたといいます。
「家では、母が『その話題に触れてくれるな』という雰囲気を出しているので、その話には触れられません。
でも、隠そうとすることから、母親がこの技術を後ろめたく思っていることが、伝わってくるわけです。『母が隠したいと思っているようなやり方で、自分が産まれてしまった』ということが嫌だったし、悲しかったですね」
これは、離婚家庭の子どもがよく「親から『かわいそうな子』扱いされるのが嫌だった』という話と、少し似ているかもしれません。
もし「かわいそうな子」と思うなら、そもそもそんな状況に自分を置かないでほしいし、もしその状況が避けられないなら、ポジティブな態度であってほしい。親の思考と行動の矛盾に、子どもは怒りやいら立ちを感じるのです。
これと同様に、自分の生命の根本にある技術を母親が後ろめたく感じているというのは、子どもの立場からすれば、納得しがたいことでしょう。
後ろめたいなら、なぜそんな技術を使ったのか。技術を使うと決めたのに、なぜそれを肯定的にとらえないのか。石塚さんは、母親の態度にいらだちを感じていました。
「もっとあっけらかんと『私が産みたかったから、AIDで産んだのよ』って言ってくれたらよかった。隠すのではなくて、うそでもいいから『あなたを望んだから、その方法で産んだのよ』と言うべきだったのではないかな、と思います」
泣き暮らす日が続くなか、あるとき石塚さんは母親から「なんで、そんなに悩む必要があるの?」と聞かれます。つらさを理解してもらえないばかりか、「悩むことさえ許されないのか」と思い、苦しさはさらに増したのでした。
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