事実を知った翌月、石塚さんは家での生活に耐えきれなくなり、一人暮らしを始めました。日々、AIDに関することを調べていましたが、15年前の当時は今よりももっと、情報がありません。そんなとき厚生労働省で、生殖補助医療に関する法律をつくるための審議会が行われていることを知ります。
「議事録が公開されていたので読んでみたら、驚くような内容でした。委員のなかには小児科医などもいたんですけれど、その人たちは誰も、その技術によって生まれた子どものその後について、追跡調査はしていないんです。なのに産婦人科の医者などが『子どもには秘密のままやっているが、それでうまくいっています』みたいなことを普通に話して、みんなそれを信じている。『この人たち、何を言ってるんだろう』と思いました。
私は苦しいし、うちの家族も大変な状況にある。それはやはり、医療のあり方に問題があると思ったんです。医者は『とにかく患者が妊娠して子どもが生まれれば成功』と思っているかもしれないですが、それは違います。生まれた後のことまで考えてくれていたら、うちの状況ももっと違ったかもしれません」
「あぁ、私も怒っていいんだ」
そのしばらく後、石塚さんは初めて新聞の取材を受けました。自分の経験や思いを語ったところ、記事を読んだ別の当事者と初めて会うことができ、大きな転機になったといいます。
「連絡をくれたのは、私より6歳上の男性ですが、彼も怒っていたんです。怒鳴るとかじゃないんですが、親にだまされていたことや、提供者がわからないことに、怒りの空気を発していた。それを見てようやく『あぁ、私も怒っていいんだ』と思えたんです。
その人の紹介で、ある小児精神科の先生と出会えたことも大きかったです。その先生は私の話を聞いて『あなたは親に文句を言っていいわよ』と言ってくれて。やっと悩むことを許された気がして、ラクになれました。
それまでは、怒るとか悲しいとか、親に対してマイナスの感情をもつことはいけないと思っていたんです。母親は私が悩むことを嫌がっていたし、いろんな人から『あなたは望まれて生まれてきたはずだ』とか『育ててもらったことを、もっと感謝しなさい』とか、“親の立場に立った善きこと”ばかり言われていたので」
いわゆる「ふつうの親子関係」にある人は気づきにくいと思うのですが、この社会には「子どもは親に対して、つねに感謝しなければいけない」という暗黙の圧力のようなものが、強く働いています。
でも親との関係がうまくいかない人にとって、それはとても苦しいことです。石塚さんも親に感謝はしていても、許しがたい部分もあるのは事実で、その気持ちを押し殺すのはつらかったでしょう。
それまで「まあまあ優等生で生きてきた」という石塚さんにとって、「親に怒っていい」という気持ちを自分に許すのは、とても大変なことだったのです。
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