高倉健が北海道民にとことん愛された理由 本人と触れ合ったファンたちが明かす秘話

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親しくなったふたりは嶋宮の車でサッポロ近辺をドライブした。そして、コーヒーとラーメン。高倉さんは酒を飲まないから喫茶店へ行く。腹が減ったら、味噌ラーメン。大俳優と名店の主人が2人で行くところはロードサイドの喫茶店と味噌ラーメンのはしごである。

「いつも、そうやってドライブをしていたのですが、一度、大失敗をしました。店の近くの交差点の真ん中でガス欠になって……。オレ、真っ青でした、あの時は。あわてて車を下りて、ポリタンク抱えてガソリンを買いに走ったんです。

高倉さんも車から下りて、後ろに数珠つなぎになっていた車を誘導する。顔がバレると困るから野球帽をかぶって、下を向きながら、手を振って、他の車に行け行けと合図するわけです。でも、みんな、わかるんですよ。あれ、高倉健じゃないのって。

車を運転している人たちは、あっ、高倉健が手を振ってると思うから、前に進まない。渋滞がひどくなって、ガソリンを買って帰ってきた時には20台以上が並んでいた。

やっと車が動き出した時、だんなから言われましたよ。

『なあ、嶋宮、オレを乗せる時くらい、ガソリンをケチるんじゃないよ』って」

北海道に愛された俳優

「だんなが亡くなる3日前のことでした。携帯にメールもらったんですよ。

『高倉健ラストインタヴューズ』(プレジデント社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

『ありがとう。キンキおいしかったよ』って。あとで養女の貴(たか)さんに聞いたら、『代理で打ちました』と言ってましたけれど。それにしても、だんながキンキとししゃもを食ってくれた。あれだけ魚を食わない人だったのに。

亡くなったけれど、私の胸には今も生きています。そして、北海道の人たちはみんなそう思っています。みんな、だんなが九州生まれだと知っている。でも、北海道の人なんですよ。オレたちはそう信じている」

大物俳優はたくさんいる。それぞれが映画のロケ地で見学していた人たちから慕われている。しかし、北海道における高倉健の存在感は別格だ。彼らの網膜には『鉄道員』の駅長の姿、『幸福の黄色いハンカチ』の刑務所から出てきた男の姿が残っている。北海道の人々に、ここまで愛された俳優は他にはいない。

野地 秩嘉 ノンフィクション作家

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のじ つねよし / Tsuneyoshi Noji

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。『キャンティ物語』(幻冬舎)、『サービスの達人たち』(新潮社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』(小学館)でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。

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