高倉健が北海道民にとことん愛された理由 本人と触れ合ったファンたちが明かす秘話
なお、兵庫県の西宮での展覧会もまた特別に熱い男の集団が集まるのではないかとわたしは想像している。なんとなれば、兵庫県はかつて高倉健が主演した『山口組三代目』の舞台であるからだ。北海道の展覧会とはまた別の意味の熱気が渦巻くとわたしは想像している。
札幌の名店と健さん
展覧会が開かれている近代美術館から車で5分ほど走ったところにあるのが「すし善」。北海道を代表する江戸前の寿司店だ。創業者で現在も板場に立つ職人が嶋宮勤。1943年、小樽生まれである。彼は中学を卒業して上京。都内の寿司店に勤務した後、28歳で独立。札幌のすすきのに店を出した。以後、着実に店を増やし、今では東京の銀座にも出店している。
嶋宮は元から高倉健のファンだったが、1976年のある日、脚本家の倉本聰が高倉健を連れて入ってきたことから知遇を得て、友人となった。高倉さんが「心友」と表現するひとりで、『駅STATION』『鉄道員』『ホタル』などには、ちゃんとセリフのある役で出演している。
「僕ら、高倉さんを囲む仲間は、みんな『だんな』と呼んでいました。ある日、だんなが店に入ってきました。それはもうびっくりですよ。話になりません。驚きました。呆然として何もあいさつできなかった。顔を見ないようにして、寿司を握るだけでした。
そうしたら、あの人はあのとおり、真面目な人だから、『初めまして。高倉健です』。
いや、よくわかっているよ。あなたが高倉健だってことはよくわかっているよと言いたかったけれど、まさか、そんなことは言えない。黙って、頭を下げて、寿司を握るだけさ。他の客はポカーンと見てたね。サインくださいなんて雰囲気はまったくない。
でも、こみあげてくるものがあったんだ。中学生の時、ああ、明日から東京に行かなきゃいけないという日に小樽の映画館で本物の高倉健を見たんだって。言いたかったけれど、その日は結局、何も言えなかった。あの時の店はカウンターが10席だけ。誰も何もしゃべれなくて、えらく緊張しました」
どういうわけか、それから高倉健はすし善にやってきた。本人は鮮魚はほとんど食べない。小学生の時、体を悪くして、1年間、自宅で寝ていたことがあった。その時、母親が毎日、ウナギを食べさせたことがあり、以来、彼は鮮魚を食べなくなった。すし善にはそれこそ何十回と通ったけれど、食べたのは「赤貝、アワビ、トロ、イカの耳」(嶋宮氏談)くらいだったという。
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