高倉健が北海道民にとことん愛された理由 本人と触れ合ったファンたちが明かす秘話

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わたしも『鉄道員』のロケ地、南富良野町にある幾寅駅(映画では幌舞駅)で撮影を見学したことがある。同町の婦人会の女性たちは連日連夜、ロケの出演者、スタッフのために炊き出しを敢行。高倉さんもまた婦人会の方々が作った豚汁、じゃがいももちを頬張って、頑張っていた。

高倉さんが感心したように、しかも、映画のセリフのような口調で感想を言う。

「おばちゃん、うまいよ。これは腹にしみるわ」

女性たちは「わあっ」と騒ぐ。高倉さんは続ける。

「こんなに、うまいもんを一度、うちでも食ってみたいよ」

熟年の女性が声をかける。

「健さんの嫁にしてくれるなら、なんぼでも作るよ」

「おばちゃん、真剣に考えとく」

一同、爆笑である。

婦人会の方々は高倉さんが食べてくれるからと1日も休まず、炊き出しをした。

学芸員の齊藤さんは言った。

「ええ、その時の女性の方々がやってこられました。みなさん、会場のノートに何か記して帰っていかれました」

北海道立近代美術館で高倉健さんの追悼展が2018年1月21日まで開かれている

会場の出口に置いてある誰が書いてもいいノートには、確かに婦人会の方々の言葉が残っていた。

「健さんに会いに来ました」

彼女たちは展示物を見に来たのではなく、高倉さんに会いに来たのである。

もうひとつはこうだ。

「3時間、あなたをずっと見つめていました」

他にも切ない気持ちを伝えるメッセージがいくつも記してあった。

男性客も少なくない

また、同展には男性の観客も少なくない。通常、美術館に来るのはどういった展覧会であっても、入場者の大半は女性である。それなのに、高倉さんの展覧会では男性のひとり客が少なくない。そして、彼らのメッセージは切ないのではなく、熱い。ただただ熱い。

「健さんは男の教科書だ」「健さん、オレのあこがれだった」「男のなかの男。高倉健」

わたしが出かけたのは年末で、白い粉雪が降っていた。しかし、美術館のなかは熱かった。北海道の人は口数が多くない。記す言葉も短い。しかし、高倉健を思う心は他の地区よりも熱く、またストレートだった。

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