高倉健が北海道民にとことん愛された理由 本人と触れ合ったファンたちが明かす秘話
わたしも『鉄道員』のロケ地、南富良野町にある幾寅駅(映画では幌舞駅)で撮影を見学したことがある。同町の婦人会の女性たちは連日連夜、ロケの出演者、スタッフのために炊き出しを敢行。高倉さんもまた婦人会の方々が作った豚汁、じゃがいももちを頬張って、頑張っていた。
高倉さんが感心したように、しかも、映画のセリフのような口調で感想を言う。
「おばちゃん、うまいよ。これは腹にしみるわ」
女性たちは「わあっ」と騒ぐ。高倉さんは続ける。
「こんなに、うまいもんを一度、うちでも食ってみたいよ」
熟年の女性が声をかける。
「健さんの嫁にしてくれるなら、なんぼでも作るよ」
「おばちゃん、真剣に考えとく」
一同、爆笑である。
婦人会の方々は高倉さんが食べてくれるからと1日も休まず、炊き出しをした。
学芸員の齊藤さんは言った。
「ええ、その時の女性の方々がやってこられました。みなさん、会場のノートに何か記して帰っていかれました」
会場の出口に置いてある誰が書いてもいいノートには、確かに婦人会の方々の言葉が残っていた。
「健さんに会いに来ました」
彼女たちは展示物を見に来たのではなく、高倉さんに会いに来たのである。
もうひとつはこうだ。
「3時間、あなたをずっと見つめていました」
他にも切ない気持ちを伝えるメッセージがいくつも記してあった。
男性客も少なくない
また、同展には男性の観客も少なくない。通常、美術館に来るのはどういった展覧会であっても、入場者の大半は女性である。それなのに、高倉さんの展覧会では男性のひとり客が少なくない。そして、彼らのメッセージは切ないのではなく、熱い。ただただ熱い。
「健さんは男の教科書だ」「健さん、オレのあこがれだった」「男のなかの男。高倉健」
わたしが出かけたのは年末で、白い粉雪が降っていた。しかし、美術館のなかは熱かった。北海道の人は口数が多くない。記す言葉も短い。しかし、高倉健を思う心は他の地区よりも熱く、またストレートだった。
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