「モアイ像」のイースター島で起きた独立運動 先住民が怒っている2つのこと

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また島の43%を占める国立公園はチリのCONAF(国営森林団体)によって管理されているが、森林管理を主としているこの機関は、島内にフルタイムの考古学者をひとりも雇っておらず、歴史文化財の研究・保護の観点から問題視されている。

同時に観光客が払う国立公園への60ドルの入園料はチリ政府の収入となるため、ラパヌイの人々の生活の向上に還元されていないと感じるラパヌイ人も多い。2015年3月には「ラパヌイ議会」が国立公園の入り口を封鎖し、CONAFに代わって観光客から国立公園の入園料を徴収していた時期もあった。

人権や自治権を求める長い闘い

ラパヌイには、自分たちの人権や自治権を求めて戦ってきた長い歴史がある。1722年にオランダ船によって「発見」されたイースター島は、1888年にチリの統治下に置かれた。1953年までスコットランドの企業が羊を放牧するための土地として貸し出されており、羊たちが草を食べている間、島人たちの生活は島の一角(現在、島唯一の集落であるハンガロア)に制限されていた。

ラパヌイ人たちがチリの市民権と自分たちの市長を選ぶ権利を勝ち取ったのは1964年のことである。1888年の条約では、チリ政府はイースター島に主権を認め、島の保護と発展、土地の権利を約束しているが、その約束が果たされていないまま、100年以上の時が経っていることになる。

こうした状況にあるイースター島にとって、他地域の独立運動は刺激になる。数カ月前に、スペインのカタルーニャで独立騒動が起きた際に、チリの地元紙にはイースター島の住民たちがカタルーニャのケースを好意的に受け止めているとする記事が出た。

ラパヌイ人の独立感情が高まるのはわかるが、その実現性は低いとみられている。南米大陸から約3200㎞離れたこの孤島には、観光とわずかな漁業以外の産業はなく、自給自足も難しい。ガスや食料、生活品のほとんどすべてを本土からの輸送に頼っている状態だ。物資やガスの供給が途絶えたら、この島は牧草地に戻ってしまうと懸念する声もある。

より現実的な選択肢としてラパヌイ人が求めているのは自治権だ。彼らは観光収入の使い道を自分たちで決める権利、そして島への移住者と観光客の流入を管理する権利を求めている。

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