チェ・ゲバラだったら、今をどう生き抜くか 息子が語る没後50年経っても褪せない魅力
1959年7月25日。軍服を着たひげ面の男が広島・平和記念公園を訪れた。男の名はエルネスト・ラファエル・ゲバラ、通称チェ・ゲバラ。当時、キューバの工業大臣を務めていたゲバラは、急遽日程を変更して広島に向かったのである。原爆ドームを見学し、慰霊碑に献花を終えたゲバラはこう言ったという。「日本人は、米国にこんな残虐な目に遭わされて怒らないのか」。
あれから58年。この世界は、ゲバラが理想とし、生涯を懸けた搾取のない誰もが公平に暮らせる場所とは言いがたい状況にある。相次ぐテロや移民問題、格差の拡大、大国による右傾化――。ゲバラが生きていたらどう感じていただろうか。
2017年はゲバラが39歳という若さでこの世を去ってから50年目にあたる。その節目の年に、日本でもいくつかゲバラに触れられる機会がある。9日から東京・恵比寿で、写真家としても知られるゲバラの写真展「写真家 チェ・ゲバラが見た世界」が開催されているほか、10月には、ゲバラとともにボリビアで戦った、日系ボリビア人フレディ前村の生涯を描いた映画『エルネスト』が公開される。
没後50年経ってもなお、年齢や性別、国籍を超えてゲバラが愛される理由は何なのか。来日したゲバラの長男で、「チェ・ゲバラ研究所」のコーディネーターを務めるカミーロ・ゲバラ氏に話を聞いた。
チェは主役になることを望むような人ではない
――日本で写真展を開くことに特別な意味は。
写真展は要望があれば、世界中どこでもやっている。それぞれの写真は美術的、歴史的な価値があるだけでなく、すべてがチェの自伝のようなものだ。ただ、彼自身が今生きていたら、写真展をやろうとも思わないだろうし、将来やることも考えなかっただろう。
――やろうと思わない?
チェは自分が主役になることを望むような人ではないから。彼は自らが果たさなければならない責任を全うする人間だが、自分が目立ったり、主役になりたいとは考えない人だ。それ以前に、彼は自分自身をアーティストだとは考えていなくて、単なる写真好きぐらいにしか思っていなかった。
彼が写真を撮っていたのは、被写体の美しさや歴史的価値を見いだしたからというのもあるだろうが、自分が年を取ったときに家族に「自分はこんなことをやっていたんだよ」「こんな所に行ったことがあるんだよ」と見せたいと思っていたのでは。そういう意味では、写真はストーリーを伝える手段としてすばらしい媒体だと思う。
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