高倉健、2人の親友がいま明かす名優の素顔 少年刑務所の慰問で何を語ったのか

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

敷田の他にもうひとり、高倉健さんが信頼し、講演を承諾した親友がいる。田中節夫さん、元警察庁長官である。親友で、高倉健が亡くなった時、最後に見送った6人のうちのひとりだ。しかし、なんと、高倉健さんと田中節夫さんはたった一度しか会っていない。

田中さんはこう言っている。

「高倉さんにお目にかかったのは長官になった年(2000年)の2月でした。福岡市で開催された『銃器犯罪根絶の集い・福岡大会』のゲストスピーカーに来ていただいたんです。スピーカーにお願いしたのは私ではありません。全国の大会でしたから、誰か警察庁の担当者が決めたのでしょう。

『鉄道員(ぽっぽや』は高倉健さん代表作の一つ。(C)1999「鉄道員(ぽっぽや)」製作委員会

高倉さんはちょうど『鉄道員(ぽっぽや)』に出た頃でしたから、観客は多かった。おかげで大会は大盛況でした。そして、講演が終ってごあいさつした時が初対面で、あとにも先にも面と向かって話をしたのはその時だけです」

しかし、ふたりのつきあいは長く続く。すべては手紙のやり取りだった。わたしはふたりが交わした手紙は見ていない。しかし、田中さんからの手紙は何通か持っている。達筆というより、女性的なやさしい文字で流麗だ。しかし、細い万年筆で書かれた字はしっかりと紙のなかに浸透している。

一方、高倉さんの筆跡は男性的で、筆圧も強く紙に彫り込むようにインクが入っている。

見た目は対照的だが、インクの色は漆黒である。

『高倉健ラストインタヴューズ』(プレジデント社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

日本画に墨絵というものがある。墨絵を描く時、画家は表面を撫でるように墨を載せるのではなく、紙のなかへ墨を入れていく。

「カンナで紙を削っても墨が残る」ように描くのが墨絵だ。どれほど淡い色であっても、一流画家が描いた墨絵の色は漆黒で、髪に浸透している。ふたりの文字はそれだ。

たった一度、ふたりが会った時、高倉健は饒舌で、「何度でも講演しますよ」と語ったという。彼にとってはとても珍しいことだ。

田中さんは語る。

「こうおっしゃってくれました。『警察のキャンペーンで協力できることがあればやります。他にも俳優をご紹介します』

その後、実際に小林稔侍さんをご紹介いただいて、小林さんにも講演していただいたのです。

高倉健さんが親友に送った手紙

そして、私がつらい時期を過ごしていた時、手紙をいただきました。そのなかに言葉がありました。

『冷に耐え 苦に耐え 煩に耐え 閑に堪え
激せず 躁がず 競わず 随わず 
以って大事を為すべし』

今も時々、読み直しています。

高倉さんは大きな人物でした。包容力があって……。静かな感じで……。ええ、なんとも言えない方でしたね」

高倉健さんが心友と呼んだのが敷田稔さんであり、田中節夫さんだった。敷田さんも田中さんも実際に会うと、ゆったりとしていて、静かで、眼光の鋭い男だ。そのふたりが「大きな人物でした」と呼んだのが高倉健さんだった。

野地 秩嘉 ノンフィクション作家

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

のじ つねよし / Tsuneyoshi Noji

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。『キャンティ物語』(幻冬舎)、『サービスの達人たち』(新潮社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』(小学館)でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事