世界の終わりより早く、市場がまず死を迎える?
たとえば、「豪遊しまくる」は可能だろうか。デパートで衝動買いをする、高級レストランで食事をする、会員制クラブでいちばん高いシャンパンをあける……これらは、残念ながらほぼ確実に実現しない。なぜかというと、世界の終わりの日に律義に働こうとする人などいないからだ。
今日で世界が終わってしまう、その貴重な最後の一日を、いつもどおりお店での仕事に使い切ってしまう従業員などいるだろうか。
どうせ明日はないのだから、出勤しなかったところで上司や顧客に怒られる心配もない。家族や恋人と一緒に過ごしたり、お気に入りの場所で終末の時を静かに迎えようとしたりするのが人情だろう(実は、こういったささやかな希望すら叶えることが難しいかもしれないのではあるが……)。
いや、文句一つ言わずサービス残業までこなす日本人労働者なら、終末の日といえどもサボらず働くかもしれない。しかし、それでも「豪遊しまくる」ことはできないだろう。なぜなら、普段私たちが当たり前のように使っている、あるモノが使えなくなってしまうからだ。そう、そのあるモノとは、市場経済にとって欠かせない存在=お金である。
イメージしてみよう。世界最後の日にお金をもらったとして、あなたは嬉しいだろうか。明日はもうやってこないのだから、当たり前だけれど、お金を持っていても使いようがない。悲しいかな、紙幣はタダの紙切れ、硬貨は金属の塊にすぎないのだ。
こう考えると、将来使うことができないお金には、何の価値もないことがわかるだろう。価値のないモノは、もはや商品やサービスとの交換に使うこともできない。
世界が終わる日というのは、市場経済がマヒしてしまう日でもあるのだ。実際には、世界が終わる瞬間よりも早く、市場がまず死を迎えることになる。その後の経済活動の大混乱は、想像にかたくない。
実は、この話には少し怖い続きがある。市場が死亡宣告を受けるのは、世界が終わりを迎えるよりもずっと前かもしれないのだ。
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