小泉進次郎の「メディアが伝えない」意外な姿 「荷物が多く、メモ魔」泥臭い一面も

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――小委員会にオブザーバーとして参加されるようになったきっかけは?

非営利団体の立場で政策提言をしたり政策実現のサポートをしていて、各党の代議士とは接点がありました。小泉議員はじめ若手議員が中心になって「2020年以降の経済財政構想小委員会」を立ち上げる話になり、民間の人間も入れようということで声をかけてもらいました。小泉議員とは復興関係でお付き合いがあったので、「いいね」と言ってもらえたようです。

小委員会は議員同士が意見を戦わせる場ですので、私は求められた場面で補足説明やコメントをしたり、あとは事務局的な役割も担っていました。また、小委員会の運営や発信方法について議論する役員会にも参加していました。

「一匹狼」から「闘う集団のリーダー」に

――500日間の活動を一緒にやってきて、小泉議員になにか変化はありましたか?

小泉議員が初当選した選挙のときは、自民党に大変な逆風が吹いていて、たった4人しか自民党の新人議員は当選しない、非常に厳しい選挙でした。今となっては信じがたい話ですが、小泉議員も渡した名刺を目の前で破られたこともあったようです。

そういう厳しい選挙を戦ってきたのと、当時は若手議員と呼べる存在が小泉議員しかいない、しかも野党ということもあり、小泉議員は一匹狼というか「戦う人」のイメージが強かったように思います。有権者に接するときはとてもすてきな笑顔が印象的ですが、非常に鋭い目をしながら、いつも考えながら言葉を選んで発している姿を見ると、内面は非常にファイティングスピリッツにあふれている印象でした。

500日間の活動を経て変わったことがあるとすれば、それまではひとりで孤軍奮闘してきた存在から、闘う集団を率いる存在になってきたと、私の目には映りました。おそらくこの小委員会ができたことによって、小泉議員にとって初当選以来、初めて仲間が持てた感覚が芽生えてきているのではないでしょうか。

小泉議員は他の議員に自分の携帯電話の番号を教えないことで有名で、議員同士で飲みに行ったりしないタイプだったのですが、500日の後、他の議員を食事に誘うようになり、その豹変ぶりが議員の間でも話題になっているのです。

実際いまではすごく仲間を大切にしていて、仲間の考えを発信することこそ、自身の役割だととらえています。

「こども保険」は小泉議員の発案ではなく、議員の間の議論の中でつくられたものですが、まるで自分が発案者であるかのように、貫き通す姿勢はものすごいものがあります。おそらく自分がいいと思ったものは、仲間の代わりになって自分が発信するという役割を強く自認しているのだと思います。

次ページ最後に、みんなが知りたい「あの質問」をぶつけてみた
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