日本企業の不祥事が相次いでいる根本理由 「企業の社会的責任」の本質を理解していない

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一方、日本の大企業は、マラソンやゴルフトーナメントのスポンサーになったり、あるいは大学などの講座に寄付をする、慈善団体をサポートするということを、しきりに行うようになりました。加えて、社会に対する利益還元として、法令順守や環境保護なども、大いに論じられました。それが「企業の社会的責任」と考えられていました。しかし、日本において、企業の社会的責任の本質論はほとんど論じられていなかったのではないかと思います。

昨今の「企業不祥事」を単なる「事件」として受け止めていては、やがて、「かつて、日本は、誠実な国民であり、誠実な品質、信頼できる製品をつくる誠実な国であった」と、過去形で語られるようになるでしょう。

ここで、もう一度、企業の社会的責任について、本質的に考えてみたいと思います。本質論的にいえば、およそ、企業の社会的責任は、3項目に集約されると思います。

根本にあるのは「良品の生産」

1つは、なにより「自分の会社の製品、サービスにおいて、よい製品をつくり、よいサービスを行うこと」。言い換えれば、不良品を製造し、欠陥商品を世の中に出さないこと、あるいは、自分中心のサービス、不誠実なサービスをしないことでしょう。

この根本を押さえずして、なにが「企業の社会的責任」といえるのかということです。製造業であれば、優れた商品を、しかも完璧な良品、品質においてまったく問題のない製品をつくり、出荷し販売することです。不良品で、事故を起こす。交通事故、火災、中毒の原因になる製品をつくり、商品を提供するなどは、「企業の社会的責任」のイロハもわかっていないということになります。

あるいは、流通業であれば、十分なサービス、顧客中心のサービス、円滑に商品をお客様へ提供することでしょう。お客様に不快感を与える、お客様を差別する、見下す、不良品を販売するなどは、これまた、「企業の社会的責任」を軽視している証拠。とにもかくにも、完璧な良品を製造し、完璧なサービスでお客様に提供することが、「企業の社会的責任」だと思います。

2つ目の、「企業の社会的責任は、適正な利益を生み出すということ」。利益を生み出すことが、「社会的責任」などというと奇妙に感じる人もいるかもしれません。しかし、企業が利益を生み出すことは、企業のためということもさることながら、その利益の多少に応じて、税金を支払う。そのことによって、社会のため、国民のために貢献するということになるのです。赤字であれば、特に課税所得をベースに算定される法人税などは支払わなくてもいいということになります。それでは、「企業の社会的責任」は果たしていません。

繰り返しますが、税金は、広く社会のため、国民のために使われるものです。税金を少しでも少なくという経営者の気持ちはわからないでもありませんが、やはり、「企業の社会的責任」という観点からすれば、「健全な経営を行い、適正な利益を生み出し、そして、正当な税金を納め、もって、社会のため、国民のために貢献するということ」を考え実行すべきでしょう。

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