日本のメディアが見逃した「トランプの幸運」 アジア歴訪のタイミングで追い風が吹いた

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これから先、トランプ氏個人が、ミュラー特別検察官を解任する方向に動く可能性はゼロと言っていい。トランプ大統領の懐は深く、学習能力も自己改革能力も極めて高いと筆者は判断している。

そもそもウォーターゲート事件との単純な比較はナンセンスだと筆者は考えている。米国法の世界では、どだい、「主要な登場人物は誰なのか」を抜きにして、安易に慣習法を持ち出すのはナンセンスだからだ。コックス氏とミュラー氏と比較すると、人間性の違いは歴然としている。筆者が知るかぎり、コックス氏は率直かつ公明正大、高潔な人物であり、ミュラー氏のような不透明性は、まったくない。

米国法には「法律家倫理」の伝統がある

なぜ、そう断言できるのか。筆者はすでに1980年代からコックス氏をよく知っている。当時、「ジェトロニューヨーク」の時代を先取りするアカデミックでクリエーティブな仕事をしていて、コックス氏とは、大学改革や組織改革を国際的に広げるための講演やセミナープロジェクトを遂行しているときに知り合った。

その仕事には司法長官を辞任し、当時「国連米国代表部」会長だったエリオット・リチャードソン氏や、彼の親友であるハーバード大学のロジャー・フィッシャー教授も一緒だった。

こうした高潔無比な人たちとの交わりで筆者が学んだのは、「法は人なり」ということだ。リチャードソン氏やコックス氏のような、「中立」ということに命を懸ける人たちは、もしもミュラー氏の立場に立った場合、「どう考えても中立性を確保できない」という論理で、特別検察官になることを固辞したに違いない。筆者は100%そう明言できる。その点でも、米メディアにおけるウォーターゲート事件との比較は、まったく誤りというべきである。

いつの時代も、「中立性」は「論理」の世界の大黒柱である。その点、ミュラー氏の「中立性欠如」は、「法的アクションおよびノンアクションにおける遵守」という根本原理に矛盾する。筆者の分析によれば、ミュラー氏の問題は「論理」的にも「法律家倫理」的にも大きく、今後、米連邦議会からの批判が強まる可能性がある。

米国法には、裁判官、検察官、弁護士を通じて共有されている「法律家倫理」の伝統がある。その伝統的な「法律家倫理」の基準点は、リチャードソン氏やコックス氏にこそ置くべきであり、断じて、ミュラー氏の「中立の不透明性」に置くべきではない。

湯浅 卓 米国弁護士

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ゆあさ たかし / Takashi Yuasa

米国弁護士(ニューヨーク州、ワシントンD.C.)の資格を持つ。東大法学部卒業後、UCLA、コロンビア、ハーバードの各ロースクールに学ぶ。ロックフェラーセンターの三菱地所への売却案件(1989年)では、ロックフェラーグループのアドバイザーの中軸として活躍した。映画評論家、学術分野での寄付普及などでも活躍。桃山学院大学客員教授。

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